韓国歴代大統領の末路は、亡命、暗殺、逮捕、懲役、自殺
余生を無事に迎えることができたのは、尹潽善・金泳三・金大中の3人
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(イ・スンマン)
1875~1965年
第1~3代大統領
在任
1948~1960年
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朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領。「建国の父」といわれる。
大統領ポストを永続的に確保しようと、再三にわたり憲法改正を強行し、1960年3月の大統領選挙では極端な不正選挙を実施して4選をかちとったが、同年4月、その独裁的政治手法と大統領選挙の不正に憤慨した学生・市民を中心に糾弾運動が起こり、国会でも、大統領の即時辞任を要求する決議が全会一致で採択された。
これを受け、ラジオで「国民が望むなら大統領職を辞任する」と宣言して下野、12年間続いた独裁体制が崩壊した(4月革命)。
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尹 潽善
(ユン・ボソン)
1897~1990年
第4代大統領
在任
1960~1962年
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第4代大統領選挙は、国会議員による間接選挙で行われた。
李承晩が4月革命で退陣した後の1960年6月15日に責任内閣制への憲法改正が行われ、その翌月に実施された民議院と参議院の両院選挙の結果、両院で民主党が多数派を占めた。選挙後の8月12日に開かれた両院合同会議での第4代大統領選挙において圧倒的多数で選出された。
しかし、閣僚との対立から政権は安定せず、61年5月16日の朴正熙らのクーデターを招いた。クーデター軍からの要請もあり大統領の座に留まるが、翌62年3月に軍政が制定した政治活動浄化法に抗議して下野した(国家再建最高会議が政権掌握。憲法停止)。
大統領辞任後は野党の指導者として2度朴正煕に挑戦するなどし、軍事政権への抵抗と民主化運動に取り組んだ。
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国家再建最高会議議長・朴正煕による軍政(1962年3月22日~1963年12月16日)
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朴 正熙
(パク・チョンヒ)
第5~9代大統領
在任
1963~1979年
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旧満州の軍官学校から日本陸軍士官学校に転学。卒業後、旧満州に配属された。
61年5月16日の軍事クーデターで権力を掌握した。
クーデター直後の6月に秘密諜報機関・韓国中央情報部(KCIA)を発足させた。
新憲法の下で民政に復帰。63年の直接選挙による大統領選で当選し、10月に大統領となった後、日韓基本条約の締結、開発独裁で経済成長を実現させたが、74年の在日朝鮮人による暗殺未遂事件で陸英修(ユク・ヨンス)夫人が流れ弾に当たり死亡。
79年に側近の中央情報部長に暗殺された。
現役大統領として暗殺されたことから韓国史上初めて国葬に処された。
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崔 圭夏
(チェ・ギュハ)
1919年~2006年第第10代大統領
在任
1979~1080年
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1941年に東京高等師範学校(後の東京教育大学。現・筑波大学)文科第3部(英語・英文学)を卒業。
ソウル大学師範学部教授の後、46年より33年間官吏を務めた。
1975年に国務総理(首相)。朴正煕大統領暗殺後に大統領権限代行となり、5・16軍事クーデターの中心人物で、朴正煕政権誕生の立役者だった金鍾泌(キム・ジョンピル=金泳三・金大中とともに韓国 政治史上に三金時代を築いた。金大中大統領時代の国務総理)に次期大統領を打診したが、本人に固辞されたため、12月6日に大統領に就任し約8ヶ月間在任した(歴代大統領の中で在任期間は最短)。
就任時には早期の改憲と民主化を約束したが、戒厳令下で殆どイニシアティヴを発揮できないまま全斗煥の粛軍クーデターを追認した。時代の中で翻弄され、自らの意思とは関係なく大統領職に就き自らの意思に関係なく辞任したと捉える立場の人からは「非運の大統領」と呼ばれた。
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崔圭夏の辞任後、朴忠勳が大統領権限を臨時代行(1980年8月16日~1980年9月1日)
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全 斗煥
(チョン・ドゥファン)
1931年~
第11・12代大統領
在任
1980~1988年
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79年の朴大統領暗殺事件の混乱を国軍保安司令官として処理し、戒厳司令官を逮捕して実権を掌握(粛軍クーデター=世界史上、最も長期間にわたったクーデター)。
80年第11代大統領に就任。81年第5共和制憲法下で第12代大統領に当選した。
84年、戦後の韓国元首として初めて日本を公式訪問、昭和天皇との晩餐会に臨んだ。
88年開催のオリンピックをソウルへ招致したことで、外交的な成功を収めた。その一方で、83年9月1日には大韓航空機撃墜事件が発生した。
88年の辞任後、不正蓄財などが発覚し、退任から7年後の95年、同クーデターの反乱首謀容疑で逮捕され、80年の光州事件での責任も問われ、1審で死刑が言い渡される。2審、最高裁では無期懲役に減刑され確定(97年12月に特赦で釈放)。
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盧 泰愚
(ノ・テウ)
1932年~
第13代大統領
在任
1988~1993年
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大韓民国最後の出身の大統領(2012年12月現在)。
選挙のときは親しみやすさと自身の耳の大きさ(韓国では話を聞く人は耳が大きいとされる)を前面に押し出し、朴政権から続いていた軍人出身大統領と異なる印象を国民に持たせることに成功した。
外交面では共産圏との関係改善に乗り出し、90年にソビエト連邦、92年に中華人民共和国と国交を樹立。ま91年9月には北朝鮮との同時国連加盟を実現させた。
09年5月に自殺。
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金 泳三
(キム・ヨンサム)
1927~1998年
第14代大統領
在任
1993~1998年
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54年国会議員に当選。長く野党議員として活躍するが90年に当時の与党に合流。70年代から80年代にかけて金大中とともに代表的な野党政治家の1人であった。
93年大統領。朴政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅したことから、金泳三政権は文民政権と呼ばれた。
「任期中はいかなる献金も受け取らない」と宣言、質素さをアピールするため、「青瓦台での昼食はカルクッス(韓国式うどん)にする」と明言し、歴代大統領が議員に配っていた「モチ代」の制度を廃止した。
経済面でも、不正の温床となっている仮名口座での金融取引をなくすため、「金融実名制」を実施したが、政権末期には通貨危機が起こり、不況のなか98年に任期を終えた。
大統領在職中の97年、次男が知人の会社社長らから不正に金を受け取ったなどとして逮捕された。
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(キム・デジュン)
1925~1925年
第15代大統領
在任
1998~2003年
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野党政治家として朴正熙大統領と対立し、73年東京で韓国情報機関に拉致される(金大中事件)。
98年に4度目の挑戦で大統領に就任、経済再建などに取り組んだ。北朝鮮に対して融和的外交(太陽政策)を提唱し、00年北朝鮮を訪問し、金正日総書記と初の南北首脳会談を実現。ノーベル平和賞を受賞した。
98年に小渕恵三首相と日韓共同宣言を発表し、韓国での日本文化開放を推し進めた。
09年8月、多臓器不全のためソウル市内の病院で死去した。
暗殺された朴正煕元大統領以来韓国史上2人目の国葬に処された。
息子2人が02年、金銭授受容疑で相次いで逮捕された。
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盧 武鉉
(ノ・ムヒョン)
1946~2009年
第16代大統領
在任
2003~2008年
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歴代で初めての、日本統治時代を経験していない世代の大統領。朝鮮半島南東部の貧しい農家に生まれ、苦学して司法試験に合格し弁護士となる。
金大中の後継者として、「左派新自由主義」路線を推進し、就任当初は清廉さなどが高く評価されたが、政権運営にあたっては少数与党に苦しみ、04年には大統領弾劾訴追により一時職務停止となり国政が混乱したこと等、行政実務に疎く政策能力が十分でなかったとされ、政権末期は支持率が大きく低下し、ウリ党も混乱の中でその幕を閉じた。
大統領退任後には、収賄や不正献金で側近や親族の逮捕が相次いだ。本人の逮捕も近いと報じられる中の09年5月23日「悲しむな。…誰も恨むな。運命だ」との遺書を残し、故郷にある自宅の裏山から身を投げた。
29日朝から国民葬が営まれ、最後のお別れに一般市民ら13万人(警察推計)が集まった。
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李 明博
(イ・ミョンバク)
1941~
第17代大統領
在任
2008~2013年
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大阪市平野区出身。終戦後、慶尚北道・浦項に引き揚げ、苦学の末高麗大学に入学。卒業後、現代建設に入社。29歳で取締役、36歳で社長、47歳で会長職に就くという異例のスピード出世で、同社を韓国のトップ企業に押し上げた。
02年にソウル市長に就任。ソウル市内を走る清渓高架道路の撤去と清渓川の復元を実現させるなどの実績を持つ等から、国民の大きな期待のなか500万票もの大差で当選した。
経済成長を重視し、サムスンや現代といった財閥に配慮した政策を取った。だが、成長の果実は国民に行き渡らなかったため格差が拡大し、最後は支持率20%前後という寂しい幕切れとなった。
12年7月には、国会副議長や韓日議連会長を歴任した実力者の兄が、不正資金を受け取った疑いで逮捕。また、長男も脱税の疑いで国税庁に通報される。
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注;光州事件=1980年5月、当時韓国全羅南道(ぜんらなんどう/チョルラナムド)の道都であった光州(クァンジュ・こうしゅう)市で戒厳令解除を求めて始まった大規模な学生・市民の反政府・民主化要求行動を、戒厳軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した事件。
1979年12月12日、保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和(チョン・スンファ)陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握した(粛軍クーデター)。そのため、全国各地で反軍部民主化要求のデモが勃発したが、全斗煥の新軍部は1980年5月17日、全国に戒厳令を布告し、影響力のある野党指導者の金泳三・金大中や、旧軍部を代弁する金鍾泌(キム・ジョンピル)を逮捕・軟禁した(5・17非常戒厳令拡大措置)。なかでも金大中は、全羅南道の出身で、光州では人気があり、彼の逮捕が事件発生の大きな原因となった。
なお、当時の韓国国内では、保安司令部が、マスコミなどの情報も全て統制していたため、事件の実態について国民に説明される事はなかった。しかし光州市民らによって徐々にその悲惨な実態が明るみに出されるにつれ、事件は、反独裁民主化運動の理念的基礎となっていった。この時期の民主化運動世代は光州世代とも呼ばれたが、この流れは、大統領直接選挙制を求める1987年の6月抗争に繋がった。
2013年2月25日就任の朴槿恵(パク・クネ〈クンヘ〉)氏は保守系与党セヌリ党(韓国の保守政党で97年にハンナラ党として結成され、12 年2月に現在の党名に改称)の党首で、1960~70年代に「漢江(ハンガン=朝鮮半島)の奇跡」といわれる高度成長を導いた朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の長女で、韓国の女性大統領となる。任期は5年(再選は憲法で禁止されている)。
1974年8月15日、朴大統領の暗殺を狙った文世光(ムン・セグァン)事件で母親の陸英修(ユク・ヨンス)が流れ弾に当たり死亡したため、急遽留学先のフランスから帰国したのが22歳。5年後の1979年に父親が側近の金載圭(キム ジェギュ)KCIA(秘密諜報機関・韓国中央情報部)長官に暗殺(朴正煕暗殺事件)されるまで、ファーストレディー役を務めた。父の死亡を耳にした際の第一声は、混乱に乗じて北朝鮮人民軍が侵攻する事を懸念した「休戦線は大丈夫か」であっであった(現・EGテック会長の朴志晩〈パク・チマン〉は弟)。
http://tamutamu2011.kuronowish.com/kannkokudaitouryou.htmhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%A7%BF%E6%81%B5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E5%AF%BE%E7%AB%8B
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