フリーメイソン
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| 種類 | 友愛団体(秘密結社、非公開団体) |
|---|---|
| 目的 | 会員相互の特性と人格の向上をはかり、よき人々をさらに良くする |
| 本部 | 各地域の各ロッジ 事実上の総本部(イングランドのグランドロッジ) |
| ウェブサイト | 事実上の総本部(イングランドのグランド・ロッジ) United Grand Lodge of England UGLE (英語) |
| 会員同士の親睦を目的とした友愛団体であり秘密結社 | |
フリーメイソンリーが用いるシンボルの一つ、プロビデンスの目。
米国エドモンズのロッジ。
1920年制定オリンピック旗。古代ギリシア時代の古代オリンピックにならい近代オリンピックを提唱したピエール・ド・クーベルタン男爵は、フリーメイソンである[2]。1894年国際オリンピック委員会(IOC)設立時のメンバーであったアンプティル男爵は1890年にフリーメイソンリーに入会した[3]。初期IOCメンバー[2]で初代イギリスオリンピック委員会会長[4]のデスボロー男爵は、1875年にフリーメイソンリーに入会した[2]。
第1回大会(アテネ、1896年4月)は男性のみ参加資格がありまた1名の女性マラソン選手が非正規で参加し、4年1か月経た第2回大会(パリ、1900年5月-10月)から女性の参加が整備された。クーベルタン男爵は、女性の参加は男性にとって良からぬことであると考えていた[5]。
第1回大会(アテネ、1896年4月)は男性のみ参加資格がありまた1名の女性マラソン選手が非正規で参加し、4年1か月経た第2回大会(パリ、1900年5月-10月)から女性の参加が整備された。クーベルタン男爵は、女性の参加は男性にとって良からぬことであると考えていた[5]。
現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人に上り、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに[6]、200万人は米国のグランドロッジに所属している[7]。
「フリーメイソン」とは厳密には各個人会員の事を指しており、団体名としては英: Freemasonry(フリーメイソンリー)、仏: Franc-maçonnerie(フランマソヌリ)、伊: Massoneria(マッソネリア)、独: Freimaurerei(フライマウレライ)、露: Масонство(マソンストヴォ)である。以下、英語的な発音である「フリーメイソンリー」と記載する。なお本項目は「フリーメイソン」と表記しているが、日本グランド・ロッジは「フリーメイスン」と表記している[8]。
この友愛結社(組合)は、管轄上、独立したグランドロッジもしくは一部が東方社(オリエント、大東社系)の形で組織され、それぞれが下部組織(下位のロッジ)から成る自身の管区を管轄している。これらの多様なグランドロッジは、それぞれが認め合い、あるいは拒否したりして、境界を形成する[9]。また、フリーメイソンリーの主要な支部には、関連した付属団体が存在するが、それらはそれぞれが独立した組織である。フリーメイソンリーは秘密結社[10]または「semi-secret」(半分秘密の)[11][12]団体と表現する場合があるが、いかなる団体であれ団体内部の秘密というものがあり、そうした視点においてフリーメイソンリーは広く知られた公開結社なのであるというフリーメイソンリー側の意見もある[13]。
フリーメイソンリーは「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の5つの基本理念がある[14]。
目次
[非表示]沿革[編集]
総説[編集]
起源とフリーメイソンリーについては対外的な資料が少ないため、諸説存在する。レギウス・マニュスクリプトとして知られるある詩人は、およそ1390年頃と疑われる、としており、これは諸説あるメイソン起源説の中では、もっとも早くに上るものである。[15] 16世紀には、スコットランドにメイソンのロッジ(Masonic Lodge)が存在していた、とする証拠もある。[16] 例えば、スコットランドのキルウィーニングのロッジには、16世紀後半の記録があり、それは1599年にあった第二シュワー法に言及している。[17] イングランドにおいては、17世紀中盤にはロッジが存在していたことを示す明白な書証がある。[18] 最初のグランドロッジである英国グランドロッジ(GLE、グランドロッジ・オブ・イングランド)は1717年6月24日に設立され、この日に、4つの既存のロンドンのロッジが合同で晩餐をしている。 こうして統括機関は素早く拡張され、殆どの英国のロッジが結合した。 しかし、少数のロッジは、GLEが企図した例えば第三位階の創設のような幾つかの近代化に憤然として、1751年7月17日にこれに対抗したグランドロッジを形成し、彼らはそれを古代英国グランドロッジと称した。[19] この「近代」(GLE)と「古代」の二つのグランドロッジは、1813年9月25日に英連邦グランドロッジ(UGLE)に統合されるまで、互いに覇を競った。 アイルランド・グランドロッジとスコットランド・グランドロッジは、それぞれ1725年と1736年に形成された。 フリーメイソンリーは、1730年代までには古代、近代共に北米の英植民地に進出し[20]、多様な州グランドロッジを組織した。 独立戦争後、米国のグランドロッジは独立し、それぞれの州に根を下ろした。 何人かは、ジョージ・ワシントンを初代グランドマスターとして、これらを股にかけた合衆国グランドロッジの組織を構想したが、多くのグランドロッジが統合によって、自分達の権威が低下するのを望まなかったため、このアイディアは短命に終わった。[21]古代であれ近代であれ、ロッジを運営するにあたって行なっているメイソンリーとしての活動内容に差はなかったのだが、こうした部門はF.& A.M.(Free and Accepted Masons)だったり、A.F.& A.M.(Antient Free and Accepted Masons)だったりと、そのネーミングに名残を見出し得た。
ヨーロッパの最も古い管区であるフランス大東社(GOdF)は、1733年に設立された。 しかしながら、大東社は至高の存在(メイソンでは、複数の宗教の会員がいることから各員が神と信じるものを最大公約数をとってこう表現する)への尊崇義務を会員規定から撤廃し、英語圏メイソンとの確執を引き起こし、両社は1877年頃、公式の関係を断絶した[22]。 こうした中で、グランドロッジ・ナショナーレ・フランセーズ(GLNF)が、一般に英連邦メイソンとの友好関係を保ち、世界と調和した唯一のグランドロッジとなった。 こうした経緯故に、しばしばフリーメイソンリーは相互に親善関係にない二つの系統から構成されるといわれている。
- 英連邦メーソンとそれに連なる管区(グランドロッジと呼ばれる)の伝統、そして
- 欧州大陸系の大東社とそれに連なる管区の伝統(グランドオリエントと呼ばれる)である。
通説[編集]
石工組合としての実務的メーソンリーが前身として中世に存在した、とする説もある。こうした職人団体としてのフリーメイソンリーは近代になって衰えたが、イギリスでは建築に関係のない貴族、紳士、知識人がフリーメイソンリーに加入し始めた(思索的メイソンリー。「思弁的-」とも)。それと共に、フリーメイソンリーは職人団体から、友愛団体に変貌したとするのである。または、実務的メイソンリーとの直接の関係はなく、その組織を参考に、貴族たちが別個に作ったのが、思索的メイソンリーであるともいう。中世ヨーロッパでは、建築はあらゆる分野の技術に精通する必要がある「王者の技術」とされ、建築学や職人の社会的地位は高かった。また、技術の伝承についても厳しい掟が設けられた。その神秘性から、実務的メイソンリーが貴族などに注目され、薔薇十字団の正体ではないかと期待する者もあった。もっとも、これについては実務的メイソンリーはあくまでも石工団体であり、期待は裏切られた結果に終わったようである。
石工団体を元にした名残りとして、石工の道具であった直角定規とコンパス(Square and Compasses)がシンボルマークとして描かれ、内部の階位制度には「徒弟(Entered Apprentice)、職人(Fellow Craft)、親方(棟梁とも訳す。Master Mason)」の呼称が残っており、集会においては、元は石工の作業着であるエプロンを着用する。なお、ピラミッドに目の「プロビデンスの目」をシンボルとするのはフリーメイソンだけではなく、かつて啓蒙思想の者が好んで使用し、ヨーロッパで流行したシンボルであった。
友愛団体に変貌したフリーメイソンリーは、イギリスから、商業や文化のネットワークを介して、ヨーロッパ諸国、ロシア、アメリカ大陸、さらには西欧諸国従属下にあるアフリカやアジアの植民地にまで広まった[23]。民間人を対象とする国際的な互助組織がない時代だったので、会員であれば相互に助け合うというフリーメイソンリーは、困難を抱えた人間にとって非常にありがたかった。ウィーンのロッジに加入していたモーツァルトは、同じロッジのフリーメイソンに借金の無心をした記録が残っている。 フリーメイソンリーが広まった時期は、絶対王政から啓蒙君主、市民革命へと政治的な激動が続く時代でもあり、特定の宗教を持たずに理性や自由博愛の思想を掲げるヨーロッパ系フリーメイソンリーは、特定の宗教を否定することから、自由思想としてカトリック教会などの宗教権力からは敵視された。とりわけフランス革命の当事者たちの多くがフリーメイソンであったため、しばしば旧体制側から体制を転覆するための陰謀組織とみなされた。ナチス・ドイツの時代にはマルクス主義や自由主義とともに民族の統一を阻む抹殺されるべき教説[24]として扱われ、弾圧を受けた。独立戦争にかかわった多くの会員がいたアメリカにおいても白眼視される傾向があった。ちなみにニューヨークの自由の女神像はフランス系フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物という側面もあり、台座の銘板にはその経緯とメイソンリーの定規・コンパス・Gの紋章がきざまれている[25]。
フリーメイソンリーの入会儀式は秘密とされたが、そのために、かえってさまざまな好奇心をかきたてた。トルストイの『戦争と平和』では1810年代のロシアのフリーメイソンの会合が描写されている。またモーツァルトの『魔笛』にフリーメイソンリーの入会儀式の影響を指摘する意見もある。
宗教団体とフリーメイソンリーの関係[編集]
カトリックとの対立関係は長く、1738年に時のローマ教皇クレメンス12世がフリーメイソンの破門を教書で宣告した(ただし、直接対立したのは前述のフランス大東社系が中心)。もっとも、カトリックの影響力低下もあり、もとよりイギリスなどプロテスタント(あるいはイギリス国教会)諸国では破門の影響はほとんどなかった。一方カトリックの少なくないフランスでは、両者の対立はカトリックによる一方的な圧力に留まらず、逆に政教分離を主張したフリーメイソンリーなどの影響で、公立学校から聖職者が追放される事態も起こった。1983年に破門は一応解除されたが、カトリックは公的にフリーメイソンを危険視する姿勢を崩していない。しかし、カトリック信徒でフリーメイソンリーに入会する者は少なくないという。フリーメイソンに関する歴史やテンプル騎士団との関係については、M.ベイジェント、R.リー『テンプル騎士団とフリーメーソン』(林和彦訳、三交社刊)に詳説されている。
元フリーメイソンであった創始者による新宗教も多く、モルモン教の創始者ジョセフ・スミスならびに二代目大管長ブリガム・ヤング(加入はブリガム・ヤングが先)、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)の創始者チャールズ・テイズ・ラッセル、クリスチャンサイエンスの創始者メリー・ベーカー・エディらがいる。
社会奉仕団体とフリーメイソンリーの関係[編集]
概要[編集]
日本グランドロッジのグランドセクレタリー[28]であり2002年にグランドマスターを務めた[29][30]フィリップ・A・アンブローズによるとボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブなどはフリーメイソンリーからの派生であるという[31]。フリーメイソンに関する書籍を著している皆神龍太郎(『トンデモフリーメイソン伝説の真相』『検証 陰謀論はどこまで真実か』等)によると、「フリーメイソンは何をしているのか」という問いはロータリークラブやライオンズクラブが何をしているのかという問いと同様であり、ボーイスカウトを思い浮かべてもよく、ボランティア活動も一生懸命で、フリーメイソンはロッジ内で商売や政治の話はできないので陰謀を巡らせるような組織でもないそうである[32]。フリーメイソンリーとは「全人類の兄弟愛という理想の実現」「文明というものがもつ真正で最高の理想実現」等を目的にする友愛団体であり、ボーイスカウト、ロータリークラブ、ライオンズクラブ等の社会奉仕団体のような慈善活動も行うが、慈善活動が全てというわけではない[13][33]。
ロータリークラブの創始者であるポール・P・ハリスはフリーメイソンであったが、社会奉仕と慈善活動に専念する公開結社として、ロータリークラブを設立したといわれている。愛知県江南市のロータリークラブの話では、フリーメイソンリーからロータリークラブになった経緯としては、ポール・ハリスはフリーメイソンリーのように閉鎖的な秘密結社より開かれた組織を求めたのであろうということであり、ロータリークラブ側(RIA)は組織としてのフリーメイソンリーとの関わりは否定しているということである[34]。フリーメイソンの高須克弥(高須クリニック院長)の話ではフリーメイソンリーがロータリークラブと同様の組織であるかというと、全く違うようである[35]。
ライオンズクラブでは、ライオンズクラブ国際協会の創設者メルビン・ジョーンズ[36]はフリーメイソンである[37]。
ボーイスカウト[編集]
初期ボーイスカウトの指導者たち。
中央: ロバート・ベーデン=パウエル(メイソンではない)。
左: アーネスト・トンプソン・シートン(コネチカットグランドロッジではメイソン特有の「ブラザー」ではなく「Mr.」になっている[38])。
右: ダニエル・カーター・ビアード(メイソンである)。
中央: ロバート・ベーデン=パウエル(メイソンではない)。
左: アーネスト・トンプソン・シートン(コネチカットグランドロッジではメイソン特有の「ブラザー」ではなく「Mr.」になっている[38])。
右: ダニエル・カーター・ビアード(メイソンである)。
ボーイスカウトの創設者ロバート・ベーデン=パウエル[編集]
ボーイスカウトとフリーメイソンリーの関係において、ボーイスカウト創設者の英国陸軍少将ロバート・ベーデン=パウエルは妻オレブによるとフリーメイソンではなく[39]、娘のベティも父ロバートはメイソンのメンバーではないという[40]。ロバート・ベーデン=パウエルの弟デビッドはフリーメイソンであった[39]。ロバートの孫マイケルもフリーメイソンであり[39]、マイケルはオーストラリアのロッジ「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」の元・マスター(Past Master)である[41]。
- フリーメイソンリーのロッジ
スカウトの名を冠するフリーメイソンリーのロッジ「スカウトロッジ」もある[44][45]。
- ジャングル・ブック
米国ボーイスカウト設立発起人ウィリアム・ディクソン・ボイス(メイソンである)。英国ボーイスカウト少年がウィリアム・ディクソン・ボイスに実践した善行により米国ボーイスカウトは設立された。その物語は文献による幾分の相違があるが、いずれにせよ米国ボーイスカウトの発案者はボイスである。
アメリカ合衆国のボーイスカウト[編集]
- 設立の由来
- ダニエル・カーター・ビアード
ホワイトハウスのオーバルオフィスにてボーイスカウトから敬礼を受けるフリーメイソンのハリー・S・トルーマン大統領。BSA設立時における大統領の役割としてはウィリアム・タフト(メイソン)が現職大統領、セオドア・ルーズベルト(メイソン)が前大統領としてBSA役員に就任した。
- BSA初期役員等
日本のボーイスカウト[編集]
第二次世界大戦後の日本においてボーイスカウトは日本のフリーメイソンリー復興に大きな役割を果たし、またフリーメイソンリー側では米国のメイソンたちが日本のボーイスカウトを支援する約束をした[67]。1947年、連合国軍占領下の日本におけるボーイスカウト活動再開を許可した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーはフリーメイソンであった[67]。マッカーサーは1949年9月から1951年4月の帰国までボーイスカウト日本連盟の名誉総長を務めた[68]。戦後のボーイスカウト復興に取り組んだボーイスカウトの幹部村山有と三島通陽は後にフリーメイソンリーに入会した[67]。日本のフリーメイソンリーはボーイスカウト団体を支援している[69]。
日本のフリーメイソンリーの恒例行事「メソニック子ども祭り」にはボーイスカウトが参加する[70][71]。
日本のフリーメイソンリー[編集]
江戸時代のロッジ設立[編集]
フリーメイソンが最初に日本に訪れたのは江戸幕府による鎖国政策の時代であり、1779年に長崎港出島のオランダ商館に商館長として駐在したオランダ東インド会社のイサーク・ティチングが初訪日のフリーメイソンであると考えられている[72]。ティチングがフリーメイソンリーに入会したのは1772年、オランダ領東インドバタヴィア(インドネシアジャカルタ)でのことである[72]。日本国内にメイソンリーのロッジ設立が始まったのはそれよりさらに後になってからである。江戸末期の1853年、開国(開港)を日本に迫ったマシュー・ペリーはメイソンであった[73]。ペリーは1819年にニューヨークのホーランド・ロッジでメイソンリーに加入した[65]。ペリーを日本に遣わせたミラード・フィルモア米大統領は、フリーメイソンの集まりに参加した記録はあるが[65]、フリーメイソンではない[74][75]。
1860年2月26日(安政7年2月5日)、横浜で攘夷派によってオランダ人船長W・デ・フォスと、商人N・デッケルが暗殺された(オランダ人船長殺害事件)。外国人達は攘夷派への示威行動の意味もあり、できるだけ盛大に二人の葬儀を行おうとした。この時、殺された二人はフリーメイソンであると言われており、外国人のメイソン達は、儀式用の正装であるエプロン着用で葬儀に臨んだ。これが日本におけるフリーメイソンの最初の記録という(ただし、二人が会員であった証拠は見つかっていない)。二人は横浜の外国人墓地に埋葬され、その墓は現存している[76]。
1864年(元治元年)、イギリスは居留民保護のため英国第20(イースト・デヴォンシャー)歩兵連隊(後のランカシャー・フュージリアーズ)を香港から横浜に移動させた。同隊の軍隊ロッジ「スフィンクス」は、隊員のためのロッジであるが、在日イギリス人のためのロッジとしても機能し、また恒久的な民間ロッジ設立のための手助けをした。1865年1月、スフィンクス・ロッジは横浜在住のフリーメイソンから家を借り、これをロッジとして日本初の集会を行った。スフィンクス・ロッジは1866年(慶応2年)3月に離日したが、改めて民間ロッジとしてイングランド・グランド・ロッジの承認を受け、6月26日、「横浜ロッジ」が恒久的な民間ロッジとして設けられた。このロッジは度々移転しているものの現存しており、日本国内最古の現役ロッジといえる。続いて登場したのが1870年(明治3年)発足のロッジ・兵庫・大阪(神戸)である。
英国商人グラバーとフリーメイソンリー[編集]
土佐藩士坂本龍馬の海援隊へ武器を仲介したり薩摩藩士や長州五傑の世話をしたイギリス人武器商人トーマス・ブレーク・グラバーがフリーメイソンだったとする主張もあるが、彼がフリーメイソンだった証拠はない。しかし父のトーマス・ベリー・グラバーが沿岸警備隊の1等航海士だったこと(当時、海軍では出世するためにメイソンに入会することが必須だったと言われている)がグラバー=メイソン説が言われる一因になっている。また彼が12歳の時に移り住んだスコットランドのアバディーンはメイソン最古のロッジである「アバディーン・ロッジ」がある場所でもある。また1869年に横浜にオテントウサマ・ロッジNo.1263が設立される[77]が、名前の「オテントウサマ」はグラバーが所有していたオテントウサマ号という船から取ったものである。また長崎にロッジが設立されたのは1885年である。日本政府による活動制限[編集]
オランダのライデンで入会した西周。
そこで、フリーメイソンで、お雇い外国人として日本政府の通信技術顧問であったW・H・ストーンを代表として、日本政府と協議した。フリーメイソンリーは日本政府と対立する意志はなかったので、ストーンはフリーメイソンリーの非政治・非宗教性を説き、欧米各国で政府に承認・支持されていると強調した。その結果、フリーメイソンリーは保安条例の対象外とする代わり、日本人を入会させないこと、日本社会への接触・宣伝をしないという「紳士協定」を交わしたという。この協定は口頭によるもので、日本側の書類としては発見されていない。ただ、フリーメイソンリー側には、協定遵守を申し合わせた記録が残っているという[79]。
保安条例の廃止後も、治安警察法によって結社は届出制(内務大臣権限によりいつでも禁止可能)とされ、秘密結社の禁止は続いた。フリーメイソンリーは日本人への働きかけを自粛し、日本人から隔絶した存在であり続けた。戦前にフリーメイソンリーに入会した日本人は、海外のロッジでの入会者に限られていた。しかし、そのために「外国人だけが入会するスパイ団体、「日本人はのけものにされ、入会はおろか見学さえもさせぬ反日・反国体的人種差別団体」という、その意に反した非難にさらされることになった。
日本人の母親を持つ「欧州統合の父」R・クーデンホーフ=カレルギー伯爵(フリーメイソン[80])。彼の国際汎ヨーロッパ連合はナチス政権下のドイツでは禁止され、ナチス党政権下のドイツを逃れる彼を助けた日本人が彼から渡された本は[81]鳩山一郎が「友愛」を提唱する契機となった[82]。
1941年(昭和16年)、日本がイギリスやアメリカ、オランダやオーストラリアに宣戦布告すると(大東亜戦争)、ロッジはことごとく憲兵・特別高等警察によって閉鎖に追い込まれ、書類・備品は全て押収された。
原子爆弾投下とフリーメイソンリー[編集]
「日本への原子爆弾投下」も参照
第二次世界大戦中の米国においても米軍最高司令官たる米大統領以下、フリーメイソンの政治家が多かった。連合国側の原子爆弾開発「マンハッタン計画」を推進したフランクリン・ルーズベルト第32代大統領と、日本への原爆投下時の第33代大統領ハリー・S・トルーマンはフリーメイソンであった。日本への原爆投下を計画・実施したカーチス・ルメイ少将(東京大空襲指揮官)はフリーメイソンであり、1944年7月7日にオハイオ「レイクウッド・ロッジNo.601」(Lakewood Lodge)にてフリーメイソンの階級を第3階級マスターメイソンに昇級した[65]。フィリピンの戦いに従軍の指揮官であったダグラス・マッカーサー元帥(戦後日本の連合国軍最高司令官)もまたフリーメイソンであったが[83]、彼は原爆投下の必要性に同意しなかった(朝鮮戦争では原爆投下を立案した)。政治的イデオロギーでは、F・ルーズベルトとトルーマンは民主党出身の大統領、マッカーサーは共和党等が擁立した大統領候補者であった。大多数の米国民は原爆投下の倫理上の葛藤を抱えながら日本国民への心配を目に見える態度で表すことはほとんどなく、その問題からは目を背け、原子力エネルギーの将来というものに注目していたようであったが、原爆投下後に米国で称賛の声もあまり聞かれず、米国民の大多数はまた原子力エネルギーがもたらす放射線被曝の問題を分かっていなかった[84]。1945年日本への投下実行までの歳月においてフリーメイソンリーと原子爆弾の間に特に相関があるわけではなかった。フリーメイソンリーのあらゆる時代において多くの平和主義者もまたフリーメイソンであった。例えば反軍的な『出兵の祈り(戦争の祈り)』を著したマーク・トウェイン[85]。啓蒙時代のヨーロッパ思想家の中で、フリーメイソン且つ平和主義者は顕著に多かった(例えばヴォルテール)。
平和主義からなる欧州統合構想「パン・ヨーロッパ」を1920年代から提唱していたフリーメイソンのリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、平和のために利用される前人未踏のエネルギー源が人類の生活を豊かにすることを思い描き(クーデンホーフ=カレルギーの技術論)、ナチス・ドイツ指導者アドルフ・ヒトラーに対して言論で戦った(クーデンホーフ=カレルギーとヒトラー)。トルーマン大統領は戦中に米国に亡命したクーデンホーフ=カレルギー伯爵による欧州統合構想を支持した[86][87]。トルーマン大統領はとりわけ亡命中のクーデンホーフ=カレルギー伯爵による1945年12月発表の欧州統合構想の記事に感銘を受け、この記事は米国の「公式政策」として採用された[86]。また第二次大戦下の平和主義者は、「国際連合の父」コーデル・ハルである。ハルは、第二次大戦中に国際連合(国連; UN)設立のために重要な役割を果たし、その功績により1945年にノーベル平和賞を受賞した[88]。ハルはフリーメイソンであった[89]。
- 当時の反フリーメイソンリーと原子爆弾開発
第二次世界大戦後のロッジ再建[編集]
R・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の影響を受け「友愛」を提唱したマスターメイソン鳩山一郎。鳩山はRCK伯爵の反全体主義の人道主義的著書『自由と人生』の翻訳者であり、本書の友愛精神の継承者である。
自身も会員であったダグラス・マッカーサーは、対日政策の一環として、皇族を皮切りに日本の指導者層を入会させ、最後は昭和天皇を入会させる腹づもりであったという(フリーメイソンリーは直接的な勧誘はしないことになっているので、それとなく興味を持たせるようにした)。フリーメイソンリーは、米国にとっては冷戦下の反共の砦としても期待されていた[94]。昭和天皇の入会は実現しなかったが、はるか後年の1995年にも、リチャード・クライプ元グランド・マスターが取材に「日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい(笑)。」[95]と答えており、現在でも天皇の入会を期待しているものと思われる。
1951年に入会した鳩山一郎は[96]、入会時の第1階級(エンタード・アプレンティス)を経て[67]、1955年に第2階級(フェロークラフト)へ進級[67][97]、さらに第3階級(マスターメイソン)に昇級した[67][98]。彼のマスターメイソン昇級は1955年当時に報道されている[99]。一郎がメイソンリーに入会した理由は、一郎に思想的影響を与えたクーデンホーフ=カレルギー伯爵がメイソンであったからである[100]。
スコティッシュ・ライト第32階級のメイソン高崎廣によれば日本でもフリーメイソンの影響がみられるようである[101]。日本国憲法第21条は集会の自由、結社の自由、言論の自由とフリーメイソンの理想が並んでいる[34]とする考えもある。フランス革命の自由、平等、友愛(自由、平等、博愛)の3つの用語もフリーメイソンの基本的理念である[14]。
1957年には会員数が2500人を超え、独立したグランド・ロッジを構えるべきという気運が高まり、3月に東京グランド・ロッジを設立した。初代グランド・マスターは、ベネズエラの外交官カルロス・ロドリゲス=ヒメネスであった[102]。また、主に米軍基地内にフィリピン系ロッジ、黒人系ロッジが別途存在する。これらは日本Grand Lodgeとの直接的な関わりはなく、各ロッジは個別のGrand Lodgeに属している。
組織[編集]
活動内容[編集]
フリーメイソン日本グランド・ロッジの公式ホームページによれば、「会員相互の特性と人格の向上をはかり、よき人々をさらに良くしようとする団体」であるとされているが、具体的な活動内容は非公開である。対外的には学校設営や、慈善団体への資金援助などのチャリティ活動を行っており、日本では5月に子ども祭り、8月にバーベキューが催され、これには会員以外の一般人も参加可能であるという。その他行事として「昼食会」「野外活動」「遠足」「チャリティ・コンサート」などがある[103]。社会福祉として孤児院、ホームレス、レイプ被害者、眼球バンク、火傷した子供、盲導犬等に関わる活動を支援している[69]。会員同士の親睦を深め合うことも活動の一環であり、集会後の食事会も正式な活動である。初期のロッジは、レストランやパブ、居酒屋、宿泊施設が多かった。
特徴[編集]
フリーメイソンリーは、原則として国や州を単位とする、グランド・ロッジ(Grand Lodge(英語版))と呼ばれる本部があるものの、全体を統制する総本部はない。ただし、最初にグランド・ロッジの成立した、イングランドのグランド・ロッジによる認証が本流であるとする認識から、これを「正規派」「正統派」と称し、同グランド・ロッジが認証しないロッジは非正規な存在と見なされることが多い。以下の「#会員数」「#入会条件」も、正規派とされるフリーメイソンリーの例である。グランド・ロッジはプロビンシャル・グランド・ロッジ(Provincial Grand Lodge)やディストリクトグランドロッジ(District Grand Lodge)と呼ばれる県・地域支部、および直轄に管理されるロッジで構成され、県・地域支部はロッジと呼ばれる支部から構成される。ただし、活動規模の小さい国や地域では、グランドロッジは県・地域支部を置かず、ロッジを直接管理している場合もある。日本においては一般財団法人日本メイスン財団(公益法人制度改革に伴い、厚生労働省所管の公益法人であった財団法人「東京メソニック協会」から2012年4月1日改組)と任意団体「日本グランド・ロッジ」傘下のロッジ群の2形態で構成され、日本メイスン財団所有の建物に日本グランド・ロッジが入居し、各ロッジの福祉関連事業は財団の事業予算で支援されている。また、イングランド系、スコットランド系、フィリピン系、アメリカ・マサチューセッツ州の系統、アメリカ・ワシントン州のプリンス・ホール系(黒人系)ロッジが日本グランド・ロッジとは別系統で存在する。それらの殆どは在日米軍基地内にある軍事ロッジ(軍人により設営されるロッジ)である。
ロッジは他のロッジから認証されることで、フリーメイソンのネットワークに加入できる。あるロッジの振る舞いがフリーメイソンリーとして不適切であった場合、他のロッジはそのロッジへの認証を取り消すことで排除する。正式名称が Free and Accepted(承認された) Masons であるのはそのためである。
会員は"Brother"(兄弟)と互いに呼びあう。会員は秘密の符牒(ふちょう)や握手法で「兄弟」かどうかを見分け、「兄弟」はいざという時は助け合うことになっている。欧米には有力者の会員も多いため、さまざまな場面で有利に働くことがあるという(人脈が出来る)。ただし、ロッジには外の問題を持ち込まない決まりになっているとされる。また、符牒や握手法は秘密の建前ながら、現実には暴露本などで有名になりすぎたため、欧米ではむやみに使いたがる非会員も少なからず存在する。そのため、実際に会員を見分ける必要がある時は会員証を提示させるか、それができない状況ならば、さらに込み入った質問(test question、検分質問)を行っているという[106]。
また、ヨーロッパのフリーメイソンには準会員に相当する存在として、"serving brother"(奉仕する兄弟)が設けられている。これは、初期にレストランなどを利用してロッジの会合を開いていたことに端を発する。店主や給仕などにも守秘義務を課す必要があったため、必要最小限の参入儀礼を執り行い、準会員相当の資格を与えた上で、実務的な内容の誓約を取り交わすことにしたのである。専用のロッジが一般的になると、今度は門外門衛(門番)に有給で「奉仕する兄弟」を雇用する事例が増えた。門外門衛は職務上儀式に参加できないため不人気であり、会員のみでは人手不足になりがちだからである。また、貴族を会員に迎え入れた場合、その従者を徒弟か、あるいは「奉仕する兄弟」にしたり、軍事ロッジで雑務を行う下級兵士を「奉仕する兄弟」にした例もある。アメリカでは準会員の制度は無いが、施設の維持管理などは、信頼の置ける非会員を有給で雇う例が少なくない[107]。
会員数[編集]
会員数については上述したが、非公開的な結社である為、異説もあり、日本グランド・ロッジによれば、世界に上述の半数の約300万人とされている。また、2011年に『ウォール・ストリート・ジャーナル』が報じたところによると、2000年代半ばに200万人を切り、現在は140万人になっている[104]。『朝日新聞』に明らかにしたところによれば、日本での会員数は約2000人で、多くは在日米軍関係者。日本人は300人程度という[10]。その為海外からの日本グランド・ロッジに対する認識はいわゆる「軍事ロッジ(または「ミリタリー・ロッジ」)」であるという。日本人における会員第一号は、西周(にし あまね)。米軍関係者は国外への異動も多くその実数は変動する。また、日本国内には、フィリピン系ライジングサン、黒人系プリンスホール等のロッジ、及び会員も別途存在する為、正確な会員数は不明。日本のロッジでは英語と日本語、またはそのいずれか一方が使用されている[108]。入会条件[編集]
入会資格として何らかの真摯(しんし)な信仰を要求しており、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(以上アブラハムの宗教)の信徒はもちろん、仏教徒[109]などであっても入会できる。無神論者は入会できない(例えば日本のあるロッジではそのようである[33]。しかしながらメキシコの大統領プルタルコ・エリアス・カリェスのように無神論者で共産主義者のフリーメイソン[65]もいるようである。#フランス大東社とフランスでの動向も参照。)。たとえ信仰する宗教があったとしても、社会的地位の確立していない宗教(例として新宗教各派)である場合は入会できない。ただし、特定の宗教を信仰していなくても、神(あるいはそれに類する創造者)の存在を信じるものであれば、入会資格はある[33]。これらの信仰を総称して、「至高の存在への尊崇と信仰」と呼ぶ。
マスターメイソンの子息のための"Loweton"の儀式。
ロッジ会員の投票で全会一致の承認を得た上で、さらに身辺調査を行い最終的に決定する。また、入会時には4万円から6万円程度の一時金が必要である。この他、年会費として6千円前後。アメリカでは、入会金450ドル、年会費300ドル[104]。そしていざ入会する際には儀式の暗記と宣誓の暗唱が求められる。そのため事前にコーチが付いてレクチャーも行われる(なお、階級昇進においても儀式の暗記と宣誓の暗唱が求められる)。入会を拒否された場合でも、一定期間を置いて再申請は可能。 儀式の中にはソロモン神殿の築家棟梁ヒラム・アビフの伝承等をメイソンの理念に絡めた演劇を行うものが存在する。
日本グランド・ロッジでは、月に1度無料説明会を行っている[112]。1970年代には会員数が5000人規模[31]に達したが、その後減り続け、2000人規模まで落ち込んだ。2006年、『ダ・ヴィンチ・コード』が映画化され、これを観た入会志望者が増加。無料説明会を開くようになった。しかし、2008年に広報担当の渡辺一弘と北村安忠が朝日新聞の取材に応じた際の渡辺の説明によると、「人脈作りを期待したり、秘密結社という想像を膨らませたりして入って、期待と違うとやめていく人が多い」ということであった[10]。
アメリカでは、会員数減少に歯止めを掛けるため、説明会の広告を出し、集団儀式を主催して数百人単位での新規入会を行うようになった。しかし、クリストファー・ホダップによると、「高齢団員による絶望的なグループ」、「請求書の支払いやまずい食事、誰がユニフォームにアイロンをかけるか、といったことに関する長時間の会議」などを目の当たりにして、新人の多くは2度と姿を見せなかった。ただし、こうした努力の結果、会員数減少に歯止めは掛かっているという[104]。
また、メイソンの食事会・集会・ロッジにおける政治活動も禁じられており、宗教や政治問題を持ち込んではならないとしている(中立性を保つこと、差別の排除、全人類の兄弟愛の実現等のため)[33]。
自分が会員であることを隠す必要はなく、会員であることを公言している人もいる。ただし、自分以外の会員について、その者が存命中に会員であることを公表することは禁じられている。入会勧誘は内規で禁じており、公募はしていない(実際には、前出のように無料説明会も開いているのだが、直接の勧誘はしない建前)。入会には2人の推薦者(保証人)が必要とされる。推薦者となる2人のフリーメイソンの友人・知人がいない者は、ロッジを訪問し、多くの会員たちと交流する中で推薦人を見つけることもできるようである[33]。入会の前に多数のメイソンリー会員と知り合うことは重要なことのようである[113]。
外部の取材については、かつては厳しく制限していたが、近年は「フリーメイソンズ・ホール」に「The Library and Museum of Freemasonry」を併設して、蔵書を閲覧できるようにしたり所蔵品を紹介するツアーを実施している。また定期的にグランドマスターの就任式を公開したり、テレビカメラの前で会員が儀式劇を再現するなど少しずつ情報公開に方向転換している[95][104]。ちなみに、日本グランド・ロッジの儀式見学を許された初めての取材者は赤間剛である[114]。これはあくまで外部取材についての話で、ジャーナリストの会員はこれ以前から少なからず存在する。
女性は入会することができないが、外郭団体として第3階級マスター・メイソン(親方。#階級参照)の妻、母、姉妹だけが入会できるイースタン・スター(東方の星の結社)(The International Order of Easten Star)が存在する。こうした外郭団体は、女性を対象とするものでも会員(もちろん男性)がお目付役兼サポーターとして付けられている[115]。また、一部のロッジでは、女性のフリーメイソンリー会員を認めているところもあるが(例えばGrande Loge féminine de FranceやGrande Loge mixte de France)、多くのロッジでは伝統などを理由にこれを認めておらず、排除している。ちなみに女性会員の場合でも呼び方は「シスター」ではなく「ブラザー」である。
子供から入会できる外郭団体としては、男子はディモレー結社(デモレー)、女子は国際ヨブの娘たち、少女のための虹の国際結社(虹の少女たち)などがあり、ボーイスカウトやガールスカウトに類似する活動を行っている。ディモレー結社や虹の少女たちは、親が非会員でも入会できる[116]。
日本のロッジ[編集]
日本グランドロッジ管轄のロッジ一覧[編集]
メソニック38MTビル(1981年7月竣工)とメソニック39MTビル(1983年4月竣工)は森トラストのオフィス物件であり[120][121]、日本メイスン財団のウェブサイトにメソニックMTビルが沿革として紹介されている[122]。メソニック38MTビルにはかつてイトーヨーカ堂グループ本社や富士通エフサスが入っていた。メソニック39MTビルにはウォルト・ディズニー・テレビジョン・インターナショナル・ジャパンが入り、ビル下層階の窓に「Disney channel」のロゴやミッキーマウスが描かれている(ウォルト・ディズニーはデモレーインターナショナル DeMolay International のメンバーであったもののメイソンではなかったようである[123])。
東京都国立市のスクエア・アンド・コンパス・ロッジ(国立ロッジ)No.3の所在地はJR国立駅の南にある「国立メソニックセンター」(Kunitachi Masonic Center)である。当該ロッジ内部では「フリーメイスン国立支部」とも呼称されているようである[124]。
京都では2012年に[125]新たなロッジ「京都御門ロッジNo.23」(Kyoto Mikado Lodge No.23)が開設される以前には、京都市東山区夷町(えびすちょう)の三条通沿道に日本グランドロッジ管轄の「京都メソニック・ロッジNo. 5」(Kyoto Masonic Lodge No.5)がある[126][127][128]。京都メソニック・ロッジNo.5は2011年の日本グランドロッジ管轄ロッジのリストから除外されている[129]。
マスターメイソンになると日本国内でも外郭団体スコティッシュ・ライトに参加できる[33]。
下表は2013年現在の現行のロッジの一覧。
| 場所 | 名称 | ロッジNo. (#) | ウェブサイト |
|---|---|---|---|
| 青森県三沢市 | 青森ロッジ Aomori Lodge | 10 | http://aomori10-freemasons.org (旧サイトのアーカイブ) |
| 東京都港区 | 日本グランド・ロッジ Grand Lodge of Japan | http://www.grandlodgeofjapan.org | |
| 東京都港区 | 東京メソニック・ロッジ Tokyo Masonic Lodge | 2 | |
| 東京都港区 | 東京友愛ロッジ Tokyo Yuai Lodge | 11 | |
| 東京都港区 | デモレーランド・ロッジ DeMolay-Land Lodge | 22 | |
| 東京都港区 | 日本リサーチ・ロッジ Research Lodge of Japan | ||
| 東京都国立市 | スクエア・アンド・コンパス・ロッジ (国立ロッジ) Square and Compass Lodge (Kunitachi Lodge) | 3 | http://number-3.net/jp/index.html |
| 東京都福生市 | 国際ロッジ Kokusai Lodge | 15 | http://www.kokusailodge.yolasite.com |
| 神奈川県横浜市 | ファーイースト・ロッジ Far East Lodge | 1 | http://www2.gol.com/users/lodge1/index-j.html |
| 神奈川県横須賀市 | 横須賀ロッジ Yokosuka Lodge | 20 | http://www.yokosukalodge20.com |
| 神奈川県相模原市 | 相模原メソニック・ロッジ Sagamihara Masonic Lodge | 13 | |
| 愛知県名古屋市 | 鳥居メソニック・ロッジ Torii Masonic Lodge | 6 | |
| 京都府 | 京都御門ロッジ Kyoto Mikado Lodge | 23 | http://kyotomikado.minibird.jp/index.html |
| 山口県岩国市 | 錦帯ロッジ Kintai Lodge | 16 | http://iwakunimastermason.com |
| 福岡県 | 卑弥呼ロッジ Himiko Lodge | 24 | http://himikolodge24.webs.com |
| 長崎県佐世保市 | 日本ロッジ Nippon Lodge | 9 | http://nipponlodge9.synthasite.com |
| 沖縄県中頭郡 | 帝国ロッジ Teikoku Lodge | 19 | http://www.teikoku19.com |
その他の管轄ロッジ一覧[編集]
日本グランドロッジ以外のグランドロッジの管轄で2013年現在の現行のロッジの一覧。日本で女性・男性の混成ロッジは、2008年にフランス系の国際的な女性・男性混成のフリーメイソンリー団体「人権」(Le Droit Humain International; ル・ドロワ・ユマン・アンターナショナル)の支援により東京に設立されたロッジ「日の出」(Soleil Levant; ソレイユ・ルヴァン)である。
| 管轄グランドロッジ | 場所 | 名称 | ロッジNo. (#) | ウェブサイト |
|---|---|---|---|---|
| フィリピン Grand Lodge of the Philippines | 神奈川県キャンプ座間 | ライジングサン・ロッジ Rising Sun Lodge | 151 | http://www.risingsunlodge151.com/1.html |
| 沖縄県中頭郡 | 沖縄ロッジ Okinawa Lodge | 118 | ||
| イングランド United Grand Lodge of England (UGLE) | 兵庫県神戸市 | ライジングサン・ロッジ Rising Sun Lodge | 1401 | |
| スコットランド Grand Lodge of Scotland | 神奈川県横浜市 | ロッジ・スター・イン・ザ・イースト Lodge Star in the East | 640 | http://www2.gol.com/users/lodge640 |
| 兵庫県神戸市 | ロッジ兵庫アンド大阪 Lodge Hiogo and Osaka | 498 | http://www.skirret.com/kobe/hiogo | |
| マサチューセッツ Grand Lodge of Massachusetts | 東京都港区 | シニム・ロッジ Sinim Lodge | ||
| プリンスホール・ワシントン・ アンド・ジュリスディクション ディストリクトNo. 6[132] Prince Hall Washington and Jurisdiction District No. 6 | 青森県三沢飛行場 | オミサワ・ロッジ O'Misawa Lodge | 54 | http://omisawa54.org |
| 東京都横田飛行場 | チェリーブラッサム・ロッジ Cherry Blossom Lodge | 42 | ||
| 神奈川県キャンプ座間 | プライド・オブ・ジ・オリエント・ロッジ Pride of the Orient Lodge | 55 | http://prideoftheorientlodge55.webs.com | |
| 神奈川県横須賀海軍施設 | リベレーション・ロッジ Revelation Lodge | 97 | ||
| 神奈川県厚木海軍飛行場 | トーション・ロッジ Touchon Lodge | 106 | ||
| 山口県岩国飛行場 | ジェネシス・ロッジ Genesis Lodge | 89 | http://genesislodge89.org | |
| 長崎県佐世保[133] | 友達ロッジ(準備中) Tomodachi Lodge | |||
| 人権インターナショナル Droit Humain International (DHI) | 東京都 | ソレイユ・ルヴァン Soleil Levant | http://fm-fr.jp | |
| グラン・オリアン・アラベ・エキュメニック[134] Grand Orient Arabe Œcuménique (GOAO) | 岐阜県岐阜市[135][136] | ロゲ・ラ・ルミエール・ドゥ・ソレイユ・ルヴァン Loge La Lumière du Soleil Levant (Respectable Loge de Recherche) |
日本グランドロッジの歴代グランドマスター[編集]
日本グランドロッジの歴代グランドマスター(Past Grand Masters; PGM)の一覧。- 1957年: Carlos Rodriguez-Jimenez[30][137](カルロス・ロドリゲス=ヒメネス): ベネズエラの外交官。
- 1958年: Carlos Rodriguez-Jimenez[30][137](カルロス・ロドリゲス=ヒメネス)
- 1959年: Horiuchi, Sadaichi[30][137](堀内貞一、ホリウチ サダイチ)
- 1960年: Togasaki, Kiyoshi[30][137](東ヶ崎潔、トガサキ キヨシ)
- 1961年: Carl T. Nakamura[30][137](カール・T・ナカムラ)
- 1962年: Nohea O. A. Peck[30][137](ノヘア・O・A・ペック)
- 1963年: George B. Morgulis[30][137](ジョージ・B・モーギュリス)
- 1964年: George H. Booth[30][137](ジョージ・H・ブース)
- 1965年: Saburo L. Kitamura[30][137](サブロウ・L・キタムラ)
- 1966年: Norman Cohen[30][137](ノーマン・コーエン)
- 1967年: Matsumoto, Masaji[30][137](マツモト マサジ)
- 1968年: Chester O. Neilsen[30][137](チェスター・O・ニールセン)
- 1969年: Floyd J. Robertson[30][137](フロイド・J・ロバートソン)
- 1970年: Yamada, Yoshio[30][137](ヤマダ ヨシオ)
- 1971年: Floren L. Quick[30][137](フローレン・L・クイック)
- 1972年: Frederick S. Kashiwagi[30][137](フレデリック・S・カシワギ)
- 1973年: Charles P. Weatherman[30][137](チャールズ・P・ウェザーマン)
- 1974年: Yamada, Tsune[30][137](ヤマダ ツネ)
- 1975年: Leo N. Parlavecchio[30][137](レオ・N・パーラヴェッキオ)
- 1976年: Nishiyama, Shigeru[30][137](ニシヤマ シゲル)
- 1977年: Roy Baker[30][137](ロイ・ベイカー)
- 1978年: Ronald E. Napier[30][137](ロナルド・ネピア)
- 1979年: Howard M. Voss, Jr.[30][137](ハワード・M・ヴォスJr.)
- 1980年: Kitamura, Yasutada[30][137](北村安忠、キタムラ ヤスタダ)
- 1981年: Takano, Kiyoshi[30][137](タカノ キヨシ)
- 1982年: Ohnishi, Hayao[30][137](オオニシ ハヤオ)
- 1983年: James L. Johnston[30][137][138][139][140][141](ジェームズ・L・ジョンストン)
- 1984年: Paul E. Newman[30][137](ポール・E・ニューマン)
- 1985年: Carl L. Potts[30][137](カール・N・ポッツ)
- 1986年: Chester L. Ditto[30][137](チェスター・L・ディット)
- 1987年: Chester L. Ditto[30][137](チェスター・L・ディット)
- 1988年: Fujino, Toshio[30][137](フジノ トシオ)
- 1989年: Kobayashi, Hideo[30][137](コバヤシ ヒデオ)
- 1990年: Washizu, Yoshio[30][137][142](ワシズ ヨシオ)
- 1991年: Kobayashi, Hideo[30][137](コバヤシ ヒデオ)
- 1992年: Richard A. Cripe, Jr.[30][137](リチャード・A・クライプJr.): 別冊宝島233『陰謀がいっぱい!』(宝島社、1995年)の取材に応じた。
- 1993年: R. David Pogue, Sr.[30][137](R・デイヴィッド・ポーグSr.)
- 1994年: Allen L. Robinson[30][137](アレン・L・ロビンソン)
- 1995年: Yamaya, Akira[30][137](山屋明、ヤマヤ アキラ): 『日本のフリーメイスン』(あさま童風社、1996年4月)の著者。
- 1996年: William D. Patterson[30][137](ウィリアム・D・パターソン)
- 1997年: Iwahama, Kazutoshi[30][137](イワハマ カズトシ): 2006年11月11日にメイソンリーから追放された[137]。
- 1998年: William M. Heath[30][137](ウィリアム・M・ヒース)
- 1999年: Frederic R. Collins[30][137](フレデリック・R・コリンズ)
- 2000年: Watanabe, Kazuhiro[30][137](渡辺一弘、ワタナベ カズヒロ)
- 2001年: Inae, Eiichi[30][137](イナエ エイイチ)
- 2002年: Philip A. Ambrose[30][137](フィリップ・A・アンブローズ): 2011年に朝日新聞による日本グランドロッジの取材に応じた[31]。
- 2003年: Jack C. Miller[30][137](ジャック・C・ミラー)
- 2004年: Katagiri, Saburo[30][137][143](片桐三郎、カタギリ サブロウ): 『入門 フリーメイスン全史――偏見と真実――』(アムアソシエイツ、2006年11月)の著者。
- 2005年: Robert D. Target[30][137](ロバート・D・ターゲット)
- 2006年: Ishii, Mitsuru[30][137](イシイ ミツル)
- 2007年: Joedie J. Poole[30][137](ジョディ・J・ポール)
- 2008年: Michael D. Setzer[30][137](マイケル・D・セッツァー)
- 2009年: Robert H. Koole[30][137](ロバート・H・クール)
- 2010年: Washikita, Akira[30](ワシキタ アキラ)
- 2011年: Donald K. Smith[29][30](ドナルド・K・スミス)
- 2012年: Mabuchi, Kazufumi[144](マブチ カズフミ)
- 2013年: Shimokawa, Yoshiharu[145](シモカワ ヨシハル)
「非正規」なロッジについて[編集]
イングランドのロッジが認証していない「非正規」ロッジと、フリーメイソン以外の秘密結社の区別は、しばしばあいまいである。フランス大東社とフランスでの動向[編集]
フランスでフリーメイソンリーが政治的影響を強めるのは19世紀後半、第三共和制期に入ってからである。政治活動を禁じた「正規派」と異なり、仏大東社は圧力団体としても機能した。
1877年9月13日、仏大東社は憲章を改訂して「至高の存在への尊崇と信仰」の義務規定を撤廃し、「良心の自由と人間性の確立」を新たな基本理念と定めた。これを基本理念の逸脱と見なした英系ロッジは、仏大東社の認証を取り消した。ただし、「正規派」メイソンの片桐三郎によれば、1867年、仏大東社がアメリカ・ルイジアナ州に設立したスコティッシュ・ライト評議会(上位階級授与のための組織、後述)が、同州のグランド・ロッジに管轄権を要求したため、米国系ロッジはこれを不服とするルイジアナ州のグランド・ロッジの要請に基づき、仏大東社の認証を取り消した事件があった。片桐によれば、英米系との対立はこの事件がきっかけであり、憲章改訂はだめ押しに過ぎなかったとしている[148]。その結果、仏大東社は「無神論者」のレッテルを貼られたが、これは信仰の自由・信仰しない自由を共に認めたものであり、信仰そのものの否定ではない。さらに、その後共産主義者の入会も認め、Arthur Groussier、フレッド・ツェラーなどグランドマスターになった者もいる。
また、フランスのロッジに女性会員(仏大東社自体は認めていない[149])やアフリカ系(黒人系)会員を認めたことも、「正規派」による非難の理由とされた。すなわち、当時の「正規派」が人種差別思想を多分に持っていたことを意味する。
現在でも、フランスでは仏大東社系のフリーメイソンリーが最大勢力である[150]。政治的には、19世紀末から20世紀初めに、カトリックとの対立の所産でもある政教分離推進に強い影響力を持った。そのため、1904年にはフランスはローマ教皇庁との国交断絶に至った(現在は国交回復)。その後影響力を低下させたが、1936年の総選挙で人民戦線が勝利した背景にも、仏大東社の仲介があったという。戦後も、民族自決の立場からフランス植民地だったアルジェリア独立を支持するなど、仏大東社は政治的発言を行っている(特定の支持政党はないが、おおむね社会党に近いとされる)。
仏大東社は、ベルギー大東社などとCLIPSASを設立している。「正規派」に比べて少数ではあるが、欧州や中南米を中心に約8万人がこれに属しているという。なお、「大東社」を名乗っているロッジがすべて仏大東社系ではない。「正規派」で大東社を称するロッジも多いのである。
- パリのカデ通りにあるフリーメイソン博物館「Musée de la Franc-Maçonnerie」。最初フランス大東社が1889年に博物陳列室として設立した。2000年にフランスの公式博物館になった。
プリンス・ホール(黒人ロッジ)[編集]
過去に「非正規」派として知られていたのが、アメリカの黒人メーソン、プリンス・ホール(Prince Hall)によるグランド・ロッジ、「アフリカ・ロッジ」である。1784年9月20日、ボストンで設立された。こちらも1787年に一度イングランドのグランド・ロッジから承認を受けていた。しかし、活動が休眠状態となり、納付金滞納を理由に1813年に認証を取り消された。1827年、活動を再開し納付金支払いを英グランド・ロッジに願い出たが、英側はこれを無視した。やむなく、同年6月28日、独自のグランド・ロッジ設立を宣言。仏大東社との大きな違いは、黒人によるロッジは、従来の英米系ロッジと全く変わることのない憲章を奉じていたことである。そのため、最初の納付金滞納はともかく、その後支払いを願い出ても相手にせず、英米系ロッジが黒人のグランド・ロッジを無視し続けたことは、英米系ロッジによる人種差別思想の表れといえた。
黒人によるロッジは独自に勢力を拡大し、米国とカナダを中心に、日本にもロッジを設けている。「正規派」が黒人によるロッジを再承認するようになったのは、1980年代も後半になってからである。1994年には、イングランド・グランド・ロッジとの相互承認を回復した[152]。
- プリンス・ホールの息子でアフリカン・ロッジで活動したプリムス[153]が設立に参加した教会「African Meeting House」(アメリカ合衆国国家歴史登録財)。ここにプリムス主催の学校があった。
フリーメイソンリーに対する批判[編集]
反メイソンリー(あるいは反メーソンリーと呼ばれる者達)は、「フリーメイソンに対する対抗勢力(opposition to Freemasonry)」と定義されてきた。[156][157] しかしながら、こうした反メーソンの性向は必ずしも共通しているわけではない。反メイソンリーは、多様なメイソンに敵対的な集団による、幅広い様々な批判から成っており、多くの暴露や告発が、18世紀以来行われてきた。1826年以来起きた「モーガン批判」のような政治的な反駁は、一定期間にわたる反メーソン運動を生みだし、それは未だに使われることがある。[158]宗教的見地での批判[編集]
フリーメイソンリーは宗教に挑戦する信条を形成するとされることがあり、あるいはそれ自体が異端団体であり批判を招くこともある。[159]キリスト教とフリーメイソンリー[編集]
多様な宗派の構成員達が批判説を唱えるが、とりわけクリスチャンの宗派はメーソンに対し高姿勢で接し、信者達に会員になることを禁止したり反対したりしてきた。カトリック教会[編集]
フリーメイソンリー批判において、最も歴史の長い宗派は、ローマ・カトリック教会である。教会の教理に真っ向から矛盾する自然主義的な理神論を唱えていることから、カトリック教会によるメイソン批判がなされてきた。[160]こうして、数名の教皇達の回勅が、フリーメイソンリーに反対して発布された。その最初のものは、教皇はクレメンス12世の1738年4月28日の回勅であり、最後のものはレオ13世の1890年10月15日の使徒的書簡である[161]。1917年発布の教会法は、特にフリーメイソンリーに入会する者は必然的に破門になると明白に謳っている。また、同年の教会法ではメイソン的と思われる書籍が禁止されている。 1983年になると、教会は新しい教会法を発布した。それは、前の教会法のように、メイソンの団体を秘密結社であると名指しでは批判をしていないが、以下のように記している。 「反教会的な陰謀を持つ結社に参加する者は、即座に処罰を被る。そのような結社を助長したり、入会したりする者は、聖務禁止の罰を被る。」 ここでメイソンという表記がなくなっていることから、第二バチカン公会議によりリベラル化した教会においては、カトリック信者のメイソンリーへの参加禁止の態度が変化したのではないか、という考えを、カトリックの側でもまたメイソンの側でも引き起こすことになる。[162] しかしながら、ヨーゼフ・ラッツィンガー(後のベネディクト16世)は、枢機卿在任時に教理省長官として、メイソンの組織に対して公に以下のように宣言している。「メイソン組織に対する教会の否定的な判決は、彼らが教会とは相容れない教義を持つようになって以来、変わることなく残っている。それゆえ、そこに参加する者達は、除外された状態であり続ける。メイソン組織に登録される信者は、大罪の状態にあり、聖体拝領に与ってはいけない。」
それゆえカトリックの考え方によると、メイソンのロッジへの参加はいまだに破門に該当する行為であり続けるということになる。一方、フリーメイソンリーはカトリックとの友好関係の構築に反対しているわけではない。英連邦グランドロッジとそれに連なるロッジ群は、教会の主張を否定して「フリーメイソンは宗教ではなく、宗教の代理でもない」としている。[163]
プロテスタント[編集]
カトリックの訴えとは対照的に、プロテスタントの側からの批判は、フリーメーソンが神秘主義、オカルト主義、悪魔主義であるとする見地に根ざしているようである。[164]たとえば、メイソンの学者アルバート・パイクは、しばしばプロテスタントによって、メイソンの権威的な立場にいる者として扱われる[165]。しかし、パイクは博識ではあるが、公的な情報だけに依拠するなら、議論の対象になっているようなフリーメーソンリーのスポークスマンではなく、さらにはこうした批判は、19世紀の合衆国で孤立していた南部のフリーメーソンリーに対する姿勢と無理解に基づいているとフリーメーソンリーによって主張されている。[166] 自由メソジスト教会の創始者であるB.T.ロバーツは、フリーメイソンリーに対する19世紀中盤における反対者であった。ロバーツは道徳的見地から、この組織に反対し、言及している。 「ロッジの神は、聖書の神にあらず」 ロバーツはフリーメイソンリーを神秘主義か代替宗教(宗教にとってかわろうとするもの)とし、自分の教会において、フリーメイソンの大臣を支持することがないよう推奨した。秘密結社からの自由は、自由メソジスト教会の「自由」の由来の一つでもあった。[167]聖公会[編集]
フリーメイソンリーの創始以来、多くの英国国教会の主教は、メイソンになってしまい、大主教ジオフリー・フィッシャーもそのような一人であった[168]。過去において、英国国教会では国教会の教えとメイソンの実践に矛盾が生まれるとする者は少数だった。しかしながら過去何十年かにおいては、特に教会の福音的勝利のために、国教会でフリーメイソンリーに対する議論が話題に上ることもあった。現カンタベリー大主教であるローワン・ウィリアムズ博士は、メイソンの儀式に対するいくつかの懸念を持っていることを明らかにし、一方で国教会での内や外でのメイソンの犯罪行為を耐え難いとしている。一方で、2003年には、英国のメイソンリーに対して、自身がモンマス主教であった時に、キリスト教とメイソンの信条は相容れないとし、自分の管区内における上級職へのメイソンの任用を妨げたことについて、謝罪の必要性を感じているという。[169]正教会[編集]
1933年、ギリシャ正教会は、フリーメイソンであることは背教行為の構成要件となると声明し、したがってそのような者は、痛悔し、メイソンリーを抜けるまで領聖できないとした。これは正教会の終始不変の見解とされている。フリーメイソンリーに対する正教会の論評は、「フリーメイソンリーはそれが神秘主義や秘密主義、あるいは理神論を信奉する秘密結社である限りにおいて、キリスト教とあらゆる点において、共存することができない。」とするカトリック教会やプロテスタントの従来の主張を支持している[170]。正規のフリーメイソンリーは、伝統としてこれらの主張に対して、しばしば英連邦グランドロッジに連なるロッジ群の「メイソンは宗教でなく、宗教に代わるものでもない」とする以上の反論はしていない[171]。近年では、しかしながら、こうした姿勢は変化しつつあり、多くのメイソンのウェブサイトや出版物が、これらの批判に反論している。イスラム教とフリーメイソンリー[編集]
一部にメイソンをメシア僭称者とする批判もあるものの、多くのイスラム教徒の反メイソン議論は、反ユダヤ主義や反シオニズムとリンクしている。[172][173] 反メイソンのムスリムによると、メイソンは、全世界のユダヤ人の利益を促進し、エルサレムに黄金のドームを破壊してのソロモン神殿の再建を推し進めるものである。[174] また、ハマースによる1988年の抵抗運動の定義第28章の記述によると、メイソンやロータリークラブやライオンズクラブその他の謀略グループは、シオニズムの利益を図り、その指示に従っている[175]。 イスラム教徒が多数を占めている多くの国々では、管区を伴ってのメイソンリー設立は許されていないが、トルコやモロッコのような国では、グランドロッジが設置されており[176]、マレーシア[177]やレバノン[178]のような国では、他国のグランドロッジ傘下の支部グランドロッジが存在する。パキスタンにおいては、1972年に当時の首相ブットーがフリーメイソンリーを追放し、そのすべての印刷物を差し押さえている[179]。イラクは、第一次大戦後、英国の委任信託統治領となり、その前後には英連邦メーソン(UGLE)も進出したが、1958年のイラク革命によって、関係は逆転し、立憲君主制は廃止され、アブドルカリーム・カーシムによって、共和政が宣言された。そして、ロッジにおける会合の許可証は廃止され、その後の法律ではさらに進んで、あらゆる形での会合の禁止が導入された。 その姿勢は、その後サッダーム・フセインの下で強化され、「フリーメイソンリーを含むシオニストの方針を推進する者や、シオニスト組織に関係する者」は誰であれ死刑が定められた。[180](ただし、ブットはその後クーデターで、フセインも米軍のイラクの自由作戦で共に拘束され、処刑されている。)
政治的見地からの批判[編集]
英連邦系(UGLE)のフリーメイソンリーは会員の政治及び宗教に関する議論を禁じているが、有力者が会員として存在し、また世界的な組織である以上、国際政治に無縁な組織として活動を続けることは難しいという意見もある。たとえば1981年には、すでにフリーメイソンのロッジとしての承認を取り消されていたイタリアのロッジ「P2」が、承認取り消し後にも元会長で極右政党幹部のリーチオ・ジェッリや、アンブロシアーノ銀行頭取のロベルト・カルヴィらの元メンバーがその後も「P2」として活動し、イタリア共産党を除く政財界やマフィア、バチカンとの間を結び付けていた。そして、国際的に反共勢力の援助を行い、さらに国内ではクーデターを企図したことが明るみに出た事件があった(P2事件)。その結果、P2の関係者で、他のロッジのメンバーとなっていた者はフリーメイソンリーを追放された。このように、有力者が会員として存在している以上、フリーメイソンの理念に反した形で、個々のロッジの次元を超えて政治的、社会的活動や陰謀を行うものの存在がないとはいえない。
過去には、第一次世界大戦中に「イングランド・グランド・ロッジ」は、敵国となったドイツ、オーストリア、ハンガリー、トルコ(オスマン帝国)出身者の会員すべてを追放し、戦後もしばらく解除されなかったことがあった。戦後、フランスとドイツのフリーメイソンリーが両者の親善を協議したものの、戦争犯罪については意見が折り合わなかった。このように、フランス系は元より、政治と距離を置く正規派(英米系)においても、政治の影響は避けられなかった。
起源[編集]
- 中世イギリスの石工職人のロッジ説
- 1360年、イギリス、ウィンザー宮殿の建造の際に徴用された568人の石工職人達が、数百年に渡るゴシック建築のプロジェクトを遂行しようとしたときに自分たちの権利・技術・知識が他の職人に渡らないようにロッジで暗号を使用したのが始まりとされる。成立の時期は諸説あるが、石工組合説が現在の通説である。なお、ロッジとギルドはしばしば混同されるが、厳密には別のものである。ギルドは自治都市を基盤としていたため、よそ者に排他的だった。しかし、石工は工事の状況に応じて雇用する必要があり、工事現場を渡り歩く職人も珍しくなかった。そのため、古くからロッジ間の交流があり、また他所のロッジに出向く時に同業者を見分ける手段として、暗号や符牒が発達したのである。もっとも、中にはギルドとロッジが同居している場合もあった。また、ロッジという形態を生んだのはスコットランド・イングランド・アイルランドだけで、さらに現在のフリーメイソンリーに発展したのは、直接的にはほぼスコットランドのみとされている。他の地方では、最後まで文字通りの石工のギルドとして存在した。
- テンプル騎士団説
- ソロモン神殿建築家説
- 「ヒラム#フリーメイソンのヒラム伝説」も参照
ソロモン神殿の建築家を起源とする説はフリーメイソンリーの自称である。ソロモン神殿建築の際の建築家棟梁ヒラム・アビフが建築家集団を「親方」「職人」「徒弟」からなる集団に分け、それぞれに秘密の合言葉や符牒を定めて仕事に当たらせた。
- 「ヒラム#フリーメイソンのヒラム伝説」も参照
- 近代設立説
- 起源がどこにあるにせよ、現代のフリーメイソンリーの発足を1717年6月24日のロンドン、グランド・ロッジ(Premier Grand Lodge of England)の結成とする説。これはこのロッジの結成を転機としてフリーメイソンリー自体の性格が大きく変貌を遂げるからである。そして1723年、ジェームズ・アンダーソンにより「フリーメイソン憲章」が制定された。
- ピラミッド建設の際の石工集団説
- 古代エジプト文明の象徴であるピラミッドを建造したとする説。それは「ピラミッドとは石を切り出して作られた巨大建造物である。紀元前においてあれほどの建造物を作るには熟練した石工の技術が必要となるがフリーメイソンが打ってつけだったのではないか」とするものだ。フリーメイソンのシンボルとして使われているプロビデンスの目を始め、ピラミッドのモチーフがフリーメイソンのシンボルとして使われていることだろう。また「ナイル・ロッジ」や「ピラミッド・ロッジ」などエジプトに関係する名前が使われており、かつて日本には「スフィンクス・ロッジ」があった様に、現在でも一部で古代エジプト文明が信仰されている。またエジプトのスフィンクス前にはケンタッキーフライドチキン社のケンタッキースフィンクス前店というフランチャイズ店が建っている。これは創業者のカーネル・サンダースがメイソンであり[181]、その関係でフィンクスとピラミッドの前に建っているという。
階級[編集]
| 階級 | 名称 | 和訳名称[184] | 区分1 | 区分2 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | Entered Apprentice | 徒弟 | Blue Lodge (ブルー・ロッジ、青ロッジ) | |
| 2 | Fellow Craft | 職人 | ||
| 3 | Master Mason | 親方 | ||
実務的メイソンリーでは、徒弟から職人への進級は最低7年を必要とし、さらに技能試験に合格する必要があった[186]。しかし、現在の思索的メイソンリーでは、石工の実務を修行するわけではないため、親方への昇級は3-4か月で可能である[183]。
一般的にフリーメイソンリーの上位階級として知られているのは、関連組織のスコティッシュ・ライト(スコッチ儀礼)、ヨーク・ライト(ヨーク儀礼)が用意した階級[187]である。スコティッシュ・ライトは30階級、ヨーク・ライトは9階級の上位階級を用意している。かつてのオリエンタル・ライト・メンフィス(メンフィス東方儀礼)では、94もの上位階級を設けていた(後に30階級に削減)。
1737年3月21日、フランス・パリで、騎士のアンドリュー・M・ラムゼイがフリーメイソンリーの目標は世界を一大共和国となすことで、起源は石工組合ではなく十字軍であると主張した演説を行った。上位階級が記録されているのはこれ以降のことであり、ラムゼイの演説をきっかけに創設された可能性が高い。また、ラムゼイは暗にテンプル騎士団とのかかわりもほのめかしたという。なお、陰謀論でフリーメイソンリーが「ワン・ワールド」を目指す組織とされることがあるのは、ラムゼイのこの発言が原因と思われる。「ワン・ワールド」思想についてはフリーメイソンリー側も否定していないが、組織的に特定政府の転覆を図ることはないとしている[95]。
この結果、一時は千を超す階級が乱立し、また基本階級のロッジに対する優位権を主張して対立するなど、混乱を引き起こした。さらに上位階級はパテントとして階級授与者が独自の判断で第三者に階級を授与する権利を与える方式だったので、基本階級を経ず、ロッジに足を踏み入れたことのない上位階級者さえ現れた。
現在では、上位階級の組織はフリーメイソンリーの上位団体ではなく、関連組織として位置付けられている。そして、上位階級の授与資格者を、親方階級を得た者に限っている。しかし、オカルト色の強い階級が多数あることも影響して、陰謀論ではしばしば闇の組織として取りざたされる。また、ロッジによっては、上位階級を用意していても、内容を秘密にしているところもあるという。上位階級の昇級の詳細については非公開だが、暴露本によって公開された内容は(少なくとも一部は)事実であることを認めている[95]。たとえば、ある階級の儀式には、バチカンの教皇の帽子とヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすというものがあり、教皇権や王権との対立の歴史を物語っている(『陰謀がいっぱい!』では、メイソン側は独裁者に反対し、言論・思想の自由を奪うことに反対する意思表示であって、王権そのものの否定ではないと説明している[95])。
特殊な例として、スウェーデン儀礼の上位階級(9階級)がある。スウェーデンでは、最上位階級はスウェーデン国王専用(スウェーデン・グランド・ロッジは、国王が代々グランド・マスターに就任している[188])となっており、国権とフリーメイソンリーが一体化している。しかし、「正規派」ロッジとは相互承認関係にある。
基本の3階級は、「ブルー・ロッジ(青ロッジ)」と呼ばれる。単に「ロッジ」と呼ぶ場合は、この「ブルー・ロッジ」で構成された集会所を指すことが多い。これに対し、上位階級はさらにいくつかに分けられるが、総称して「レッド・ロッジ(赤ロッジ)」と呼ぶ(狭義には、赤をシンボルカラーに持つ「ロイヤル・アーチ」階級を含んだロッジを意味する)。
スコティッシュ・ライトの上位階級[編集]
| 階級 | 名称 | 和訳名称[184] | 区分1 | 区分2 | 主題 |
|---|---|---|---|---|---|
| 4 | Secret Master | 秘密の親方 | 十全会 | Lodge of Perfection (完成のロッジ) | ハイラム伝承 |
| 5 | Perfect Master | 完璧な親方 | |||
| 6 | Intimate Secretary | 親密な秘書 | |||
| 7 | Provost and Judge | 主監と判事 | |||
| 8 | Intendant of the Building | 建物の管理者 | |||
| 9 | Elected Master of Nine | 選ばれた9人の親方 | |||
| 10 | Illustrious Elect of Fifteen | 選ばれた輝かしい15人 | |||
| 11 | Sublime Elect of the Twelve, or Prince Ameth | 選ばれた至高の12人またはアメス王子 | |||
| 12 | Grand Master Architect | 建築の大親方 | |||
| 13 | Royal Arch of Enoch, or Royal Arch of Solomon | エノクまたはソロモンのロイヤル・アーチ | エノク伝承 | ||
| 14 | Perfect Elu, Grand elect, Perfect, and Sublime Mason | 完全なる被選抜者または完全にして崇高な石工 | ソロモン伝承 | ||
| 15 | Knight of the East | 東方または剣の騎士 | 薔薇十字会 | Council of the Princes of Jerusalem (エルサレムの王子の会議) | アポクリファ(外典) |
| 16 | Prince of Jerusalem | エルサレムの王子 | |||
| 17 | Knight of the East and West | 東西の騎士 | Chapter of the Rose Croix (薔薇十字の支部) | テンプル騎士団 | |
| 18 | Knight Rose Croix | 薔薇十字の騎士 | 十字軍伝承 | ||
| 19 | Grand Pontiff | 大司教 | Council of Kadosh (神聖会) | 王者の秘密の王子の法院 | 旧約聖書 |
| 20 | Grand Master of All Symbolic Lodges | 全ての象徴的ロッジの大親方 | 自由友愛理念 | ||
| 21 | Noachite, or Prussian Knight | ノアの末裔またはプロイセンの騎士 | プロイセン騎士伝承 | ||
| 22 | Knight of the Royal Axe, or Prince of Libanus | 王者の斧の騎士またはレバノンの王子 | ソロモン伝説 | ||
| 23 | Chief of the Tabernacle | 幕屋の長 | モーゼ伝承 | ||
| 24 | Prince of the Tabernacle | 幕屋の王子 | |||
| 25 | Knight of the Brazen Serpent | 青銅の蛇の騎士 | |||
| 26 | Prince of Mercy, or Scottish Trinitarian | 恩寵の王子またはスコットランドの三位一体 | 初期キリスト教 | ||
| 27 | Knight Commander of the Temple | 殿堂の指揮官 | 十字軍伝承 | ||
| 28 | Knight of the Sun, or Prince Adept | 太陽の騎士または熟達した王子 | 哲理 | ||
| 29 | Grand Scottish Knight of St. Andrew | 聖アンドリューのスコットランド大騎士 | テンプル騎士団伝承 | ||
| 30 | Knight Kadosh | カドシュの(聖なる)騎士 | |||
| 31 | Grand Inquisitor Commander | 大審問長官 | Consistory (法院会議) | 古代エジプト伝承 | |
| 32 | Sublime Prince of the Royal Secret | 王者の秘密の至高の王子 | 哲理 | ||
| 33 | Grand Inspector General | 最高大総監 | Supreme Council(最高法院) | 総合理念 | |
片桐三郎(32階級)によれば、33階級(最高大総監)は功労者に与えられる名誉階級であるという[95]。
基本階級は必ず正規の参入儀礼を必要とするが、上位階級は4、9、12-14、18、22、28-33階級は正規の参入儀礼で、それ以外は「通達」により昇級が行われるという[189]。
33階級の上にさらに3階級を付け加えられているとする説もある[190]。
- 米ルイジアナ州にあるスコティッシュ・ライト大聖堂。
ヨーク・ライトの上位階級[編集]
| 階級 | 名称 | 和訳名称[184] | 区分 |
|---|---|---|---|
| 4 | Mark Master | 著名な親方 | 深奥儀礼 |
| 5 | Past Master | 巨匠の親方 | |
| 6 | Most Excellent Master | 最優秀の親方 | |
| 7 | Royal Arch | ロイヤル・アーチ | |
| 8 | Royal Master | 王者の親方 | 秘処儀礼 |
| 9 | Select Master | 選りすぐりの親方 | |
| 10 | Super Excellent Master | 超越した親方 | |
| 11 | Illustrious Order of the Red Cross | 赤十字の輝かしい騎士 | 騎士儀礼 |
| 12 | Order of the Knights of Malta (or simply Order of Malta) | マルタ騎士 | |
| 13 | Order of the Temple | 聖堂騎士 |
- 深奥儀礼(Royal Arch Masonry)のグランドエンブレムになっているトリプルタウ。
- 第8階級と第9階級のエンブレム。左官のこて、未完成のトライアングル、剣。
- 騎士儀礼(Knights Templar)のシンボルになっている末広十字。
- 騎士儀礼のロゴ。末広十字に「IN HOC SIGNO VINCES」。
スウェーデン儀礼の上位階級[編集]
| 階級 | 名称 | 和訳名称[184] | 区分 |
|---|---|---|---|
| 4 | Apprentice of St. Andrew | 聖アンドリューの徒弟 | 聖アンドリューのロッジ (St. Andrew's degrees) |
| 5 | Companion of St. Andrew | 聖アンドリューの仲間 | |
| 6 | Master of St. Andrew | 聖アンドリューの親方 | |
| 7 | Very Illustrious Brother, Knight of the East | 非常に高名な兄弟または東方の騎士 | 地方支部 (Chapter degrees) |
| 8 | Most Illustrious Brother, Knight of the West | もっとも輝かしい兄弟または西方の騎士 | |
| 9 | Enlightened Brother of St. John's Lodge | 聖ヨハネロッジの賢明な兄弟 | |
| 10 | Very Enlightened Brother of St. Andrew's Lodge | 聖アンドリューロッジの非常に賢明な兄弟 | |
| 11 | Most Enlightened Brother, Knight Commander of the Red Cross | 最も賢明な兄弟または赤十字の騎士司令官 | 大評議会の名誉学位 (Grand Council honorary degree) |
| 12 | Vicar of Solomon | ソロモンの代理者[191] |
- スウェーデン・ライトのシンボルになっている聖ゲオルギウス十字。
- スウェーデンのグランドロッジが所有する宮殿「Bååtska Palatset」。

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