ストーンヘンジと、ケルト文化と、ドルイドのつくりだす世界の面白さを、別の視点から見て書いている文章をみつけました。
藤原啓章著「失われた文明の謎」から、引用します。
*****
(引用ここから)
イギリスの先住民族ケルト人が、大陸からイギリスに渡ったのは紀元前7世紀頃。
ストーンヘンジの建造開始は、紀元前2800年ごろ(4800年前)とされているので、ストーンヘンジの建造者は、“ケルト人以前にイギリスに住んでいた民族”ということになる。
が、その民族の正体は今なお不明である。
とにかく、誰が、どのような方法で、何の目的でストーンヘンジを建造したのかという疑問に決定的な答えを提示し得た者は一人もいないのだ。
それらの謎を解くカギとして、ここではケルト人が信仰した宗教「ドルイド教」 に注目してみた。
「ドルイド」とは「完全なる知識を所有する人」の意味。
ドルイド僧は数かずの驚嘆すべき秘儀、秘術をおこない、きわめて高度な天文学、占星学、数学の知識を身につけていたと言われる。
かれらはまた、地球をネットワークする大地のエネルギーライン=レイラインに関する知識も備えていたらしい。
かれらは言う。
「地球を人間に例えるなら、山と岩が骨、水が血、磁力(大地のエネルギー)が神経に相当する。」
「この3つの要素と宇宙の力が一つになって、聖なる土地が出来上がる。」
ストーンヘンジがレイライン上に位置することはすでに確認されている。
“ドルイド僧は、ストーンヘンジによって大地のエネルギーをコントロールしたり、それを何かに利用したりしていた可能性が高い”、と推論せざるを得ない。
さらに謎めいたことに、ドルイド教の口伝によれば、彼らが身につけていた知識は、失われた大陸アトランティスから受け継いだ太古の叡智に基づくものである、という。
ともあれ彼らドルイド僧は、古代ケルト人にとっては神聖にして侵すべからざる存在であった。
カエサルの「ガリア戦記」にはこう書かれている。
「ドルイド僧は最大の敬意を払われ、決定権はすべて彼らが握っていた。
命令を下すのは彼らである。
すばらしい宮殿に住み、黄金色の玉座に座っている王たちは、彼らの召使にすぎなかった。」
ドルイド僧は言うなれば、ケルト人の“影の支配者”だったのである。
この奇妙で不可解な構図は、“ドルイド僧がケルト人以前にイギリスに先住していた別の人種であった”ことを物語ってはいないだろうか?
多くの謎と秘密を内包するドルイド教の信者たちは、今も毎年、夏至の前日にストーンヘンジに集合し、純白のローブを身にまとい、夜を徹して秘密の臭いが色濃く漂う儀式を厳粛にとりおこなっている。
(引用ここまで)
*****
先の記事では、“現代のドルイド教の信者”は、ストーンヘンジを作った紀元前の文明にも、あるいはケルトの伝統にも、どちらにも由来しているとは考えられない、ということについてずっと考えてきました。
また、ドルイドが遺跡であるストーンヘンジで宗教的儀式を行ったという明確な証拠もないのです。
でも、人々はドルイドに扮して、“ドルイド的なるもの”を表現し続けてきました。
そういう意味では、この本の筆者がここで言っている以下のような発案は、なるほど、一理あるかもしれないと、わたしは思います。
***
この奇妙で不可解な構図は、“ドルイド僧がケルト人以前にイギリスに先住していた別の人種であった”ことを物語ってはいないだろうか?
(同著)
***
“ケルト的なるもの”の定義が漠然としていて矛盾が多い理由について研究をしている原聖さんは、著作「ケルトの水脈」の中で、
“ドルイドはギリシアのピュタゴラス派の影響を受けて生まれたものだ”と述べています。
*****
(引用ここから)
ドルイドとピュタゴラス派には類似点が数多い。
霊魂不滅観、数学的知識に基づく幾何学文様の多用、人身御供でなく動物の供犠、天文学の知識、学問の体系化と教団的組織的教育、口伝による長期間教育、白衣の着用、政治家・司法家としての役割などがあげられる。
こうした宗教・知識・行政司法の三重の権威は強大で、おそらく古代メディア王国(ペルシャ前8~前6世紀)の「マギ=賢者」だけがこれに匹敵するだろうという。
「マギ」は英語などでの魔術・呪術(マジック)の語源だが、こうした博学が魔術と結びつくのは、後で見る“偽ドルイドとしての呪術者”の存在を考えても分かりやすい。
前6世紀にピュタゴラス自身がガリアに伝えたとは考えにくいが、その弟子、孫弟子レベルにより、前5世紀にその学問がガリアにもたらされて、ドルイド集団が成立したのである。
前4世紀に特にガリア北部と中部西部でその教育が体系化されたものとなり、確固たる階層としてのドルイド階層が形成された。
これに反して前1世紀初めにはローマ文化に同化し始めていたガリア南部・プロヴァンスではドルイドの勢力は始めから弱小だった。
ガリア以外ではドルイドに関する記述はなく、ガリアのケルト人社会に特有の集団であった。
(引用ここまで)
*****
藤原さんの仮説は、空想的に「アトランティス」と述べており、原さんの仮説は、現実的に「ピュタゴラス派」と述べており、立場は全然違いますが、
“ドルイドの存在はケルトの外側からもたらされたものだ。”と述べている点では一致していると思います。
最もケルト的なものとイメージされているドルイド僧の教理が、じつはケルトとは別の由来があるかもしれない、という仮説は、興味深いものがあります。
ピュタゴラス派のプラトン経由でアトランティスにつながる、というのは、そんなに無謀な仮説ではないかもしれません。
wiki「ピュタゴラス教団」より
ピュタゴラス教団は古代ギリシアにおいて哲学者ピュタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社。
南イタリアのロクリスに本拠を置き、数学・音楽・哲学の研究を重んじた。
前5世紀ごろに盛んであった。ピュタゴラス学派ともいう。
古代ギリシャからあるオルペウス教の影響から輪廻転生の考え方を有していた。
また原始共産制を敷いており、ティマイオスによると、ピタゴラスは財産を共有することを結社に入る第一の条件にしていた。
この時代の宗教結社に共通することではあるが、結社外に教えを伝えることは禁じられていた。
このため、資料が少なく、実態が明らかでない。
古代の証言からは、数学の研究を重んじた派と、宗教儀礼を重んじた派のふたつがあったことが知られている。
プラトンにおける数学(幾何学)の重視はピュタゴラス教団の影響であるといわれている。
ピュタゴラス教団は特定の数に神秘的な性格を見出しており、その教説の一端がプラトンの『国家』第10巻の宇宙像に現れているとの指摘がある。
Wiki「マギ(マグ)」より
マギ(ラテン語複数形 magi)は、本来、メディア王国で宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の呼称。
英語では単数メイガス (magus)、複数メイジャイ (magi)、形容詞メイジャン (magian)。
普通名詞なので小文字始まりだが、東方三博士の意味では固有名詞あつかいで大文字始まりである。
本来のマギと意味の変遷
ヘロドトスの『歴史』には、「マギには、死体を鳥や犬に食いちぎらせたり、 アリや蛇をはじめその他の爬虫類などを無差別に殺す特異な習慣があった」と記されている。
これらの習慣はアヴェスターに記された宗教法と一致しており、彼らはゾロアスター教と同系の信仰を持っていたと考えられる。
アケメネス朝ペルシア史上では、王位簒奪者のマギであったガウマータを、ダレイオス1世が倒して王位に就いたとされている。
一方、キリスト教世界では新約聖書、福音書の『マタイによる福音書』にあらわれる東方(ギリシア語でanatole。当時はペルシャのみならずエジプト北部などその範囲は広い)の三博士を指して言う場合が多い。
三人の王とも訳される。
直訳すれば星見すなわち占星術師であるが、マタイ福音書の文脈では、天文学者と推測される。
やがて、マギという言葉は 人知を超える知恵や力を持つ存在を指す言葉となり、英語のmagicなどの語源となった。
これはマギが行った奇跡や魔術が、現代的な意味での奇術、手品に相当するものだったと推定されるからである。
また磁石を意味するマグネットmagnet, マグネシウムmagnesiumの語源も、マギが奇跡のために使用したことに由来する、という説がある。
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/f666d341e73868f1032e4a214584161d
藤原啓章著「失われた文明の謎」から、引用します。
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(引用ここから)
イギリスの先住民族ケルト人が、大陸からイギリスに渡ったのは紀元前7世紀頃。
ストーンヘンジの建造開始は、紀元前2800年ごろ(4800年前)とされているので、ストーンヘンジの建造者は、“ケルト人以前にイギリスに住んでいた民族”ということになる。
が、その民族の正体は今なお不明である。
とにかく、誰が、どのような方法で、何の目的でストーンヘンジを建造したのかという疑問に決定的な答えを提示し得た者は一人もいないのだ。
それらの謎を解くカギとして、ここではケルト人が信仰した宗教「ドルイド教」 に注目してみた。
「ドルイド」とは「完全なる知識を所有する人」の意味。
ドルイド僧は数かずの驚嘆すべき秘儀、秘術をおこない、きわめて高度な天文学、占星学、数学の知識を身につけていたと言われる。
かれらはまた、地球をネットワークする大地のエネルギーライン=レイラインに関する知識も備えていたらしい。
かれらは言う。
「地球を人間に例えるなら、山と岩が骨、水が血、磁力(大地のエネルギー)が神経に相当する。」
「この3つの要素と宇宙の力が一つになって、聖なる土地が出来上がる。」
ストーンヘンジがレイライン上に位置することはすでに確認されている。
“ドルイド僧は、ストーンヘンジによって大地のエネルギーをコントロールしたり、それを何かに利用したりしていた可能性が高い”、と推論せざるを得ない。
さらに謎めいたことに、ドルイド教の口伝によれば、彼らが身につけていた知識は、失われた大陸アトランティスから受け継いだ太古の叡智に基づくものである、という。
ともあれ彼らドルイド僧は、古代ケルト人にとっては神聖にして侵すべからざる存在であった。
カエサルの「ガリア戦記」にはこう書かれている。
「ドルイド僧は最大の敬意を払われ、決定権はすべて彼らが握っていた。
命令を下すのは彼らである。
すばらしい宮殿に住み、黄金色の玉座に座っている王たちは、彼らの召使にすぎなかった。」
ドルイド僧は言うなれば、ケルト人の“影の支配者”だったのである。
この奇妙で不可解な構図は、“ドルイド僧がケルト人以前にイギリスに先住していた別の人種であった”ことを物語ってはいないだろうか?
多くの謎と秘密を内包するドルイド教の信者たちは、今も毎年、夏至の前日にストーンヘンジに集合し、純白のローブを身にまとい、夜を徹して秘密の臭いが色濃く漂う儀式を厳粛にとりおこなっている。
(引用ここまで)
*****
先の記事では、“現代のドルイド教の信者”は、ストーンヘンジを作った紀元前の文明にも、あるいはケルトの伝統にも、どちらにも由来しているとは考えられない、ということについてずっと考えてきました。
また、ドルイドが遺跡であるストーンヘンジで宗教的儀式を行ったという明確な証拠もないのです。
でも、人々はドルイドに扮して、“ドルイド的なるもの”を表現し続けてきました。
そういう意味では、この本の筆者がここで言っている以下のような発案は、なるほど、一理あるかもしれないと、わたしは思います。
***
この奇妙で不可解な構図は、“ドルイド僧がケルト人以前にイギリスに先住していた別の人種であった”ことを物語ってはいないだろうか?
(同著)
***
“ケルト的なるもの”の定義が漠然としていて矛盾が多い理由について研究をしている原聖さんは、著作「ケルトの水脈」の中で、
“ドルイドはギリシアのピュタゴラス派の影響を受けて生まれたものだ”と述べています。
*****
(引用ここから)
ドルイドとピュタゴラス派には類似点が数多い。
霊魂不滅観、数学的知識に基づく幾何学文様の多用、人身御供でなく動物の供犠、天文学の知識、学問の体系化と教団的組織的教育、口伝による長期間教育、白衣の着用、政治家・司法家としての役割などがあげられる。
こうした宗教・知識・行政司法の三重の権威は強大で、おそらく古代メディア王国(ペルシャ前8~前6世紀)の「マギ=賢者」だけがこれに匹敵するだろうという。
「マギ」は英語などでの魔術・呪術(マジック)の語源だが、こうした博学が魔術と結びつくのは、後で見る“偽ドルイドとしての呪術者”の存在を考えても分かりやすい。
前6世紀にピュタゴラス自身がガリアに伝えたとは考えにくいが、その弟子、孫弟子レベルにより、前5世紀にその学問がガリアにもたらされて、ドルイド集団が成立したのである。
前4世紀に特にガリア北部と中部西部でその教育が体系化されたものとなり、確固たる階層としてのドルイド階層が形成された。
これに反して前1世紀初めにはローマ文化に同化し始めていたガリア南部・プロヴァンスではドルイドの勢力は始めから弱小だった。
ガリア以外ではドルイドに関する記述はなく、ガリアのケルト人社会に特有の集団であった。
(引用ここまで)
*****
藤原さんの仮説は、空想的に「アトランティス」と述べており、原さんの仮説は、現実的に「ピュタゴラス派」と述べており、立場は全然違いますが、
“ドルイドの存在はケルトの外側からもたらされたものだ。”と述べている点では一致していると思います。
最もケルト的なものとイメージされているドルイド僧の教理が、じつはケルトとは別の由来があるかもしれない、という仮説は、興味深いものがあります。
ピュタゴラス派のプラトン経由でアトランティスにつながる、というのは、そんなに無謀な仮説ではないかもしれません。
wiki「ピュタゴラス教団」より
ピュタゴラス教団は古代ギリシアにおいて哲学者ピュタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社。
南イタリアのロクリスに本拠を置き、数学・音楽・哲学の研究を重んじた。
前5世紀ごろに盛んであった。ピュタゴラス学派ともいう。
古代ギリシャからあるオルペウス教の影響から輪廻転生の考え方を有していた。
また原始共産制を敷いており、ティマイオスによると、ピタゴラスは財産を共有することを結社に入る第一の条件にしていた。
この時代の宗教結社に共通することではあるが、結社外に教えを伝えることは禁じられていた。
このため、資料が少なく、実態が明らかでない。
古代の証言からは、数学の研究を重んじた派と、宗教儀礼を重んじた派のふたつがあったことが知られている。
プラトンにおける数学(幾何学)の重視はピュタゴラス教団の影響であるといわれている。
ピュタゴラス教団は特定の数に神秘的な性格を見出しており、その教説の一端がプラトンの『国家』第10巻の宇宙像に現れているとの指摘がある。
Wiki「マギ(マグ)」より
マギ(ラテン語複数形 magi)は、本来、メディア王国で宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の呼称。
英語では単数メイガス (magus)、複数メイジャイ (magi)、形容詞メイジャン (magian)。
普通名詞なので小文字始まりだが、東方三博士の意味では固有名詞あつかいで大文字始まりである。
本来のマギと意味の変遷
ヘロドトスの『歴史』には、「マギには、死体を鳥や犬に食いちぎらせたり、 アリや蛇をはじめその他の爬虫類などを無差別に殺す特異な習慣があった」と記されている。
これらの習慣はアヴェスターに記された宗教法と一致しており、彼らはゾロアスター教と同系の信仰を持っていたと考えられる。
アケメネス朝ペルシア史上では、王位簒奪者のマギであったガウマータを、ダレイオス1世が倒して王位に就いたとされている。
一方、キリスト教世界では新約聖書、福音書の『マタイによる福音書』にあらわれる東方(ギリシア語でanatole。当時はペルシャのみならずエジプト北部などその範囲は広い)の三博士を指して言う場合が多い。
三人の王とも訳される。
直訳すれば星見すなわち占星術師であるが、マタイ福音書の文脈では、天文学者と推測される。
やがて、マギという言葉は 人知を超える知恵や力を持つ存在を指す言葉となり、英語のmagicなどの語源となった。
これはマギが行った奇跡や魔術が、現代的な意味での奇術、手品に相当するものだったと推定されるからである。
また磁石を意味するマグネットmagnet, マグネシウムmagnesiumの語源も、マギが奇跡のために使用したことに由来する、という説がある。
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/f666d341e73868f1032e4a214584161d
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