神智学とトランスヒマラヤ圏、その再定義と新たな展開
――ミトラ教と神智学・人智学――
目次
本文
1.はじめに
2.トランスヒマラヤ圏の再定義
3.トランスヒマラヤ圏をめぐる時代の変化
4.新しい知見
5.神智学の課題
6.付記
本文
1.はじめに
まず、2001年7月8日(日)、新宿文化センターにて行われた神智学講演会の主宰者代表・出帆新社代表取締役社長加部紘一氏による「あいさつ」のことばを記す。
今度、弊社(出帆新社)から『シークレット・ドクトリンを読む』を刊行した。この本は、従来の神智学の地平を超えて、一歩ふみこんだ点に特徴がある。具体的にいうなら、つぎの三つであろう。
第一は、神智学の源流トランスヒマラヤのこと。従来からいわれていたチベットだけでなく、現在のイラン、イラクを含む東・中央アジアをトランス・ヒマラヤとして捉え直したことである。諸宗教の揺籃の地バビロニア(カルデア)とチベットの関係にふみこんだこと。『ジャーンの書』がチベット大蔵経のタントラであること。イスラム教シーア派の再評価とカルデア神学を提示し得たこと。
第二は、弥勒のこと。弥勒とミトラの関係、とりわけ東アジアに向かう流れを深くとりあげたこと。
第三は、上記二つと関係するが、ひとつの歴史観を提示したことであろう。
著者に対する注文としては第一にチベット大蔵経のタントラとのさらなる論考を、お願いしたい。今回は、SD(シークレット・ドクトリン)の読み方と、中国における弥勒教史についての講演である。今回の出版を機に、トランス・ヒマラヤ密教が多くの人々に理解され、必ずや彼らの生【しょう】に劇的転換をもたらすに違いないことを切願してやまない。
2.トランスヒマラヤ圏の再定義
伝説の地シャンバラ
近代エソテリシズムにとって、シャンバラはきわめて重要な聖地である。なぜなら、ここにはシャンバラがあり、地球全体の進化を導く指導霊団(大師たち)の本部があるからである⇒HP《近代エソテリシズム概論その2 》の第四部4。
トランスヒマラヤ
シャンバラの所在地については、さまざまな伝承がある。ゴビ砂漠の地下、アラル海あるいはカスピ海の島あるいは沿岸、アム河の北(ウズベキスタン)、シル河の北(カザフスタン)、新疆のタリム川の北(アルタイ山脈の南からゴビ砂漠西端にかけての地域)など、インドから見てヒマラヤのかなたのあらゆる土地に渡っている。⇒HP《近代エソテリシズム概論その2 》の第四部4、第一部2。そこで、これらの地をトランスヒマラヤと総称するようになった。
トランスヒマラヤとは、ヒマラヤの向こう側(インドから見て)という意味で、すなわちコーカサス方面からチベットヒマラヤ一帯、北はゴビ砂漠・アルタイ山脈までをさす。したがって、トランスヒマラヤ圏には、チベットだけでなく、クルド、イラク、イラン、アフガニスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスタン、中国の新疆ウイグル自治区と甘粛省、アルタイ山脈、ゴビ砂漠がすべて入る。
地図 トランスヒマラヤ圏
この定義(再定義)は、従来から言われていたことを最近の民俗学・比較宗教学的研究の成果(下記の二つ)をふまえて捉え直した結果である。
(1) 先に述べたシャンバラ伝説の広がり。
(2)チベット仏教と西アジア・中央アジアの諸宗教、さらには弥勒教との密接なつながり。
トランスヒマラヤ密教
トランスヒマラヤ圏の再定義(拡大)を踏まえるなら、トランスヒマラヤ密教の定義は次のようになる。
トランスヒマラヤ密教とは、トランスヒマラヤ圏に伝わる秘教体系(密教体系)のことである。神智学は、トランスヒマラヤ圏の密教体系の精髄(集大成)である。トランスヒマラヤ密教という言葉は、インドのヴェーダ系とは異なる密教体系を意味する。トランスヒマラヤ密教を伝える秘教には、ミトラ教(ヤズダン教・明教・弥勒教)、チベット仏教、ポン教、中央アジア系のイスラーム神秘主義がある。
トランスヒマラヤ圏から中国に向かう流れ
再定義にともない、付加しなければならないのは、中国へと向かった流れについての認識である。以下に、それを記す。従来の見解からは欠落していた部分である。
トランスヒマラヤ圏から東アジアに向かって流れ出したさまざまな宗教は、トランスヒマラヤ密教の精髄をさまざまなかたちで中国に持ちこみ、中国という土地で中国固有の宗教(道教・儒教)と融合して、弥勒教*を生んだ。今日明らかになっているだけでも、弥勒教のなかには、ミトラ教(明教)、仏教、道教、儒教、景教(ネストリウス派キリスト教)、イスラームが集大成されており、まさに宗教統合そのものといえる。これほど壮大な集大成は、世界の中で弥勒教しかない。
*明教・弥勒教 詳しくは、下記を参照のこと。
概要 ⇒HP《弥勒教》
歴史⇒HP《ミトラ教の東方伝播:中央アジアから日本まで》
神話/龍華経⇒HP《ミトラ教研究.弥勒の徹底研究》の第四部
神話/九連宝巻 ⇒HP《ミトラ神話6.弥勒教のミトラ神話》
3.トランスヒマラヤ圏をめぐる時代の変化
20世紀前半 ――神智学の初期
レーリヒ、グルジェフ、ウスペンスキー、ヴェンツなど多数の人々が、トランスヒマラヤ圏に向かい、神智学の源流を探した。レーリヒは、シャンバラの大師に会うことができたと主張した。グルジェフは、サルムング教団という秘密教団に接触することができたと主張した。アリス・ベイリーは、実際にトランスヒマラヤ圏に出かけたわけでもないのに、チベットの大師から奥義を授かったと主張した。
彼らが探求した時代はまだ、全地球観測の可能な人工衛星がなかった。したがって、世界地図において、南極、南米の奥地、ヒマラヤ周辺は空白であった。こういう時代だったので、トランスヒマラヤ圏はロマンにあふれた秘境であり、裏付けに乏しい空想的な主張もそれなりに説得力を持っていた。
現在 ――ポストモダンの時代
神智学運動が1875年に誕生してからすでに133年が経った(2008年時点)。トランスヒマラヤ圏は大きく変わった。チベットには飛行機や鉄道で誰もが手軽に行けるようになった。クルディスタンと中央アジアも同様である。かつては神秘のヴェールで覆われていたこれらの地域はもはや秘境ではなくなった。このような劇的な変化の中で、トランスヒマラヤ圏の研究も変わった。初期の個人的な秘境探検と空想的なほら話から、民族学・比較宗教的な研究に変わり、「大師に会う」とか「幻の教典を発見する」といった夢想的なロマンの時代も終わったのである。
4.新しい知見
民族学と比較宗教学は、従来の神智学的世界観にいくつかの改変を迫っている。以下はその内容である。
(1)キリストなるミトラ
近代エソテリシズムの基本文献が記された二十世紀前半には、イラン・クルドの宗教的伝統、歴史、周辺文化圏への影響はほとんど知られていなかった。そのような時代にあって、ごくわずかな文献資料をもとに、キリスト=ミトラ=弥勒=メタトロン=時の主(マフディー)を提示したことは大きく評価されるべきことである。しかし、当時に比べ、イラン・クルドの宗教に関する知識は飛躍的に増え、「キリストなるミトラ」が確固とした伝統であることが明らかになった。また、ミトラが弥勒になったことも明らかになった。時の主マフディーとメタトロンについても同様である。これらを踏まえて、キリスト=ミトラ=弥勒=メタトロン=時の主(マフディー)をいっそう明確に明示することが必要である。神智学が世界の諸宗教を統合・融合させていくという使命を今後とも果たそうというのであれば、これは至上命題である。自らの主張を学問により裏付けて強化する必要があるからである。
キリスト ⇒HP《ミトラ教研究.ミトラとキリスト(新版)》
弥勒 ⇒HP《ミトラ教研究.弥勒の徹底研究》
メタトロン ⇒HP《ミトラ教研究.メタトロンの徹底研究》
時の主マフディー ⇒PDF『ペルシア神話大辞典』第四部の「マフディー」
(2)インド=イランの原文化と東方ミトラ教
神智学・人智学の教義は、インド=イランの原文化(スィームルグ文化)と東方ミトラ教の教義の現代版*である。このことを明示して、自らを東方ミトラ教の伝統の内に位置づけること。
下記は、「ブリタニカ百科」(2008年版)の記述である。いまや、このような書物でも、東方ミトラ教は由緒ある伝統と認められている。
マニ教(=東方ミトラ教)は三世紀にペルシアにて「光の使徒」にして最高の「啓示者」とされるマニにより創始された二元論の宗教運動である。マニ教は長くキリスト教の異端と思われてきたが、実際には独自の宗教である。その教義の一貫性、組織と慣行・制度の厳密さがその歴史を通じて一貫しており、独自の性質を保っているからである。
Manichaeism is a dualistic religious movement founded in Persia in the 3rd century AD by Mani, who was known as the "Apostle of Light" and supreme "Illuminator." Although Manichaeism was long considered a Christian heresy, it was a religion in its own right that, because of the coherence of its doctrines and the rigidness of its structure and institutions, preserved throughout its history a unity and unique character. ⇒http://www-rcf.usc.edu/~sbriggs/Britannica/manichaeism.htm
*神智学・人智学の教義は、インド=イランの原文化(スィームルグ文化)と東方ミトラ教の教義の現代版 詳しくは下記を参照のこと。
⇒HP《近代エソテリシズム概論その1》第三部3
⇒HP《近代エソテリシズム概論その2》第四部、第五部
⇒HP《近代エソテリシズム概論その3》
付記
近代エソテリシズムはゾロアスター教という言葉を通常とは異なる意味に使っている。近代エソテリシズムにおけるゾロアスター教は、いわゆるゾロアスター教ではない。ズルワーンを至高神、アフラ=マズダーを犠牲神、ミトラを救済神とする秘教であり、その内実は東方ミトラ教(マニ教)である*。したがって、「ゾロアスター教」という表現も改める必要がある。
*その内実は東方ミトラ教(マニ教)である 詳細は、上記の注「*神智学・人智学の教義は、東方ミトラ教の教義の現代版」に挙げた三つのHPを参照していただきたい。
(3)弥勒教
弥勒教は、キリスト=ミトラ=弥勒=メタトロン=時の主(マフディー)が東アジアに創始した最高の秘教である。その教えは、五教帰一*、普伝*、白陽大同*など、学ぶべきことが多い。弥勒の教えとして、これらをクローズアップさせねばならない。
*五教帰一 ごきょうきいつ。儒教、仏教、道教、キリスト教、イスラームの五教を一つに統合するという意味。さらに一般的には、諸教円融〔しょきょうえんゆう〕と言う。
*普伝 ふでん。いわゆる民主化のこと。⇒HP《ミトラ教のはやわかり》の「各ポイントの説明」の「4.孔雀時代の課題」
*白陽大同 はくようだいどう。⇒HP《ミトラ教のはやわかり》の「各ポイントの説明」の「2.白陽大同」
(4)イスラーム
これまでのところ、神智学・人智学では、スンニー派とシーア派の区別がなされていない。本質的な違いについても、まったく認識していない。スンニー派とシーア派の混同は、世界宗教の融合を考えるとき、深刻な障害になる。早急に改める必要がある。イラン文化とアラブ文化の区別、マホメットとアリーの区別は、最低限必要である。スーフィズムについても、イスラームの神秘主義という表面的な認識でなく、イスラーム以前にさかのぼる秘教の伝統という認識が必要である。
5.神智学の課題
トランスヒマラヤ圏をとりまく環境は大きく変わり、もはや秘境ではなくなった。空想の時代は終わり、実証的な民俗学と比較宗教学の時代になった。神智学は、このような時代環境の変化に対応できているのであろうか? いまだ、トランスヒマラヤの謎、シャンバラの秘密といったものばかりを追いかけてはいないだろうか? 民俗学・比較宗教学の新しい成果を柔軟に吸収しているだろうか? たんなる訓詁学*、あるいは疑似科学*になってはいないだろうか?
*
もしも、神智学が秘教ではあっても、学問であるというのなら、新しい知見に対し、オープンでなければならない。これまでの知識の中に誤りがあるなら、直さねばならない。このような新陳代謝(脱皮)と自己批判ができるかどうかが問われている。「ブラヴァツキーを読む」「シュタイナーを読む」もけっこうだが、それだけでは、訓詁学であって、学問ではない。近代秘教運動として果たしてきた役割も、もはや果たせない。
トランスヒマラヤ圏が開かれ、民族学・比較宗教学による研究が始まったいま、神智学は新しい知識に直面することを避けるわけにはいかない。古い知識にしがみつき、新しい知識を無視することは自殺行為である。訓詁学化して、古い知識の強化・信念化におぼれるのではなく、新しい知識で自己を批判的に見直し、自己を変えなければならない。新しい知識を大胆に取り入れ、真の意味で進化しなければならない。そのためには、どうしても古い知識を脱構築*する必要がある。この脱構築ができるかどうかが、いままさに問われているのである。
*訓詁学 くんこがく。本来は儒教における古代言語の解釈学のこと。唐代約三〇〇年間は、孔穎達〔くようだつ〕 574-648が記した訓詁の注釈書『五経正義』だけをたよりとして、古今東西の思想から学ぼうとしなくなった。この風潮を訓詁学化といって、思想の停滞をさす言葉として使う。ここでは、ブラヴァツキー、ジャッジ、シュタイナー、レーリヒ、アリス・ベイリーらの著書を神聖化して、古今東西の思想から学ぼうとしなくなった状態をさしている。
*疑似科学 ぎじかがく。pseudo-science。本物の科学ではなく、光、波動、素粒子、ブラックホール、次元、カオスといった科学的な香りがする単語をちりばめた荒唐無稽な妄想のこと。
*脱構築 だつこうちく。deconstruction。古い構造を破壊し、新たな構造を生成すること。その一方で、新たにつくりだした構造についても絶対化・ドグマ化しないこと。
6.付記
欧米では新しい動きが始まっている。それは、東方ミトラ教(新マニ教)の復興運動である。詳細は、下記をご覧いただきたい。この復興を可能にしたのは、近代エソテリシズムである。それだけに、生みの親である思想運動にはいつまでも輝き続けて欲しいものである。
⇒HP《ミトラ神学1.ミトラ教とカルデア神学》第三部第三章
以 上
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Theosophy_Trans-himalaya.html
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