2014年6月30日月曜日

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ハザール    ウクライナには、ハザール=ハン国というユダヤ人の国があった

ハザール

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ハザール・カガン国
Xazarlar
西突厥
柔然
大ブルガリア (中世)
7世紀 - 10世紀キエフ大公国
ペチェネグ
ハザールの位置
ハザール・カガン国の版図(650年頃が赤、750年頃が橙、850年頃が薄い橙)
公用語ハザール語英語版
首都イティル
カガン
730年 - 740年ブラン・カガン
xxxx年 - xxxx年ヨシフ・カガン
変遷
建国7世紀
滅亡10世紀
ハザール突厥文字Old Turkic letter R1.svgOld Turkic letter A.svgOld Turkic letter Z.svgOld Turkic letter A.svgOld Turkic letter G2.svg: Khazarヘブライ文字:הכוזרים)は、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家。支配者層はテュルク系民族と推測されている。交易活動を通じて繁栄した。アラビア語ペルシア語資料では خزر Khazar と書かれている。日本語ではハザルハザリアホザールあるいはカザールと表記されることもある。


歴史[編集]

起源[編集]

ハザールは謎の多い遊牧民であり、起源はもとより系統もはっきりしないが、おそらくテュルク系と考えられている[1]
中国の歴史書である『旧唐書』,『新唐書』に出てくる波斯(ペルシア)国(サーサーン朝)に北隣する「突厥可薩部」がこの「ハザール」のことと考えられている。
8世紀 - 9世紀の年代記作者テオファネスによれば、ハザールの故郷はベルシリア(アルメニア史料のバルシリ)であるという。[2]
10世紀ペルシア語の地理書『世界境域誌』(Ḥudūd al-'Ālam)に書かれているハザール人たちの諸都市の項目(首都イティル(アーティル آتل Ātil)の条)によれば、ハザールのハーカーン(後述)は「アンサーの子孫に属す( از فرزندان انسا است az farzandān-i Ansā' ast)」と書かれており、この「アンサー」とは突厥王家である阿史那氏の訛音ではないかとも言われている。

サビル[編集]

ハザールは6世紀のビザンツ史料において、サビル英語版(サベイロイ)と呼ばれており、『戦史』の著者プロコピオスによれば、「サビルはフンの一族であり、カフカスあたりに居住し、多数の首長のもとに適当に分かれている」という。このサビルとハザールがまったく同一の民族であったか否かは確定できないが、少なくとも10世紀のアラブの歴史家マスウーディーは『黄金の牧場』の中で、ハザールをテュルク系サビルとしている。また、サビルの名が6世紀末からほとんど現れなくなるのは、サビルと呼ばれる部族連合の中にハザールが含まれていたことを示すからであろう。[2]

西突厥の支配下[編集]

ハザールはおそらく6世紀末にカスピ海沿岸およびカフカスからアゾフ海のステップに進出したが、その時期はまだ西突厥の勢力が強大で、その宗主権のもとに置かれていた。626年東ローマ帝国ヘラクレイオス1世は帝国の北東国境を守るために「東のテュルク」と同盟を結んだ。この「東のテュルク」の主力をなしていたのがハザールであり、東ローマ帝国は彼らと共にペルシア(サーサーン朝)支配下にあったカフカスを攻め(ビザンチン・サーサーン戦争英語版第三次ペルソ・テュルク戦争英語版)、大きな戦果をあげた。[2]

ハザール・カガン国[編集]

7世紀の中ごろ、西突厥の衰退と共にハザールはその後継国家ハザール・カガン国を形成し、独立を果たす。一方、南ロシアのステップでは、オノグル・ブルガールの部族連合「古き大ブルガリア」が成立した(635年)。アラブ・ハザール戦争英語版642年 - 799年)が始まる。ハザールが西進すると古き大ブルガリアは崩壊し(653年)、一部はハザールにとりこまれ(黒ブルガール)、残りは各地に散らばってヴォルガ・ブルガールドナウ・ブルガールを形成した。[2]

ハザールとイスラーム[編集]

以前、ハザールはカフカスをめぐってサーサーン朝ペルシアと対立していたが、サーサーン朝が新興のイスラーム共同体(ウンマ)によって滅ぼされると(651年)、代わってイスラーム共同体とカフカスをめぐって争うようになった。イスラーム共同体は654年に南カフカスのアルメニアグルジアアルバニアを占領し、カフカス山脈を越えてハザールの領有する北カフカスに侵入、カスピ海沿岸の要塞デルベントを陥落させ、ハザールの中心都市ベレンジェルに迫った。ハザールはベレンジェルでイスラーム軍を追い返したが、しばらく一進一退の攻防が続いた。イスラーム共同体で内紛が起こったため、一時はその侵攻が止んだが、661年ウマイヤ朝が成立すると、再びハザールに攻撃をかけてきた。735年、ウマイヤ朝のカリフであるヒシャーム・イブン・アブドゥルマリクは従兄弟のマルワーン・イブン・ムハンマド(のちのマルワーン2世)を派遣し、麾下のウマイヤ朝軍1万5千が逆にヴォルガ河畔まで進撃した。これに窮したカガンは司令官マルワーンに和睦を申し入れ、イスラーム改宗を約束した。この遠征を受けてハザールはウマイヤ朝カリフの宗主権を一時的に認めさせられるが、属国にはならなかった。[3]

ハザールとビザンツ[編集]

一方、東ローマ帝国とは共通の敵がペルシア(サーサーン朝)とアラブ(イスラーム)と一緒であったため、利害が一致していたが、クリミア半島の領有に関しては争いが生じた。西進を続けるハザールはまずボスポロスケルチ海峡)を占領すると、クリミア半島南端のヘルソン(ケルソネソス)に迫った。東ローマ帝国にとっては古来のギリシア植民都市であったヘルソンを黒海における橋頭堡として死守すべきであったため、皇帝ユスティニアノス2世は自治都市であったヘルソンに遠征軍を差し向けた。しかし遠征は失敗に終わり、ヘルソンはハザールに占領されてしまうが(705年)、まもなくしてヘルソンは帝国の手に戻り、クリミア南部は帝国領、それ以外はハザール領ということで、両国の友好関係が約200年にわたって続いた。[4]
比較的友好な関係にあったハザールと東ローマ帝国は婚戚関係も結んでいる。ユスティニアノス2世は軍人のレオンティオスによって帝位を奪われ、クリミア半島のヘルソンに逃れ、ハザール・カガン国に亡命した。その際、カガンの姉妹と結婚し、ユスティニアヌス1世の妃にちなんでテオドラと改名させた。また、イコノクラスム最盛期の皇帝コンスタンティノス5世の妻もビハール・カガンの娘イレーネーであり、その子レオーン4世は「ハザロス(ハザール人)」と仇名された。その他、帝国で活躍した官吏や知識人のなかにもハザール出身者が少なくなかった。[5]

ハザールとユダヤ[編集]

ハザール帝国の遺跡(サルケル遺跡Sarkel、830年代に建設。写真は1930年代のもの)
ハザールのユダヤ教受容は非常に有名であるが、改宗に関する史料は少なく、その時期と実態は謎に包まれており、さまざまな論争を呼んでいる。西欧ではアクイタニア(アキテーヌ)のドルトマルが864年に書いたマタイ伝の注釈の中で、ハザールの改宗にふれているので、864年以前であることは確実であろう。アラブのマスウーディーはハザールの王(ベク)がハールーン・アッ=ラシード(在位:786年 - 809年)の時代に、ユダヤ教を受け入れ、ビザンツ帝国やムスリム諸国から迫害を受けて逃れてきたユダヤ教徒がハザール国に集まったと記している。10世紀のコルドバのユダヤ人ハスダイ・イブン・シャプルトがハザールのヨシフ・カガンに宛てた手紙、いわゆる『ハザール書簡』において、「ブラン・カガンが夢の中で天使に会ってユダヤ教に改宗したが、民衆が新しい宗教を信じなかったので、ベクが尽力してユダヤ教の普及をはかった」という記述がある。ブラン・カガンの時代だとすると、730年 - 740年頃ということになる。以上のように、改宗の時期や理由は断定することはできないが、9世紀初頭と考えるのが妥当なところであろう。[6]
735年にマルワーン率いるウマイヤ朝軍に敗れたハザールは一時的にイスラム教に改宗したものの、アッバース革命に前後するイスラーム帝国内部の混乱を機に、799年にオバデア・カガンは再びユダヤ教を公的に受容した。こうして9世紀までに、ハザールの支配者層はユダヤ教を受容したが、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。

ハザールの滅亡[編集]

ハザール・カガン国は10世紀になると衰退し始め、貢納国であったヴォルガ・ブルガールの離反や、キエフ・ルーシ(キエフ大公国),ペチェネグといった外敵の脅威にさらされていった。965年、キエフ・ルーシの大公スヴャトスラフ1世の遠征で、サルケルおよびイティルが攻略され、ハザール・カガン国は事実上崩壊した。[7]

政治[編集]

当初はカガンアラビア語الخاقان al-Khāqān ハーカーン、漢語:可汗)が権力の頂点にあったが、次第にその地位は名目的なものになった。そのため、宗教的権威を有するカガンと、事実上の支配をおこなうベクやシャドが並び立つ統治体制へと移行した(二重王権制)[8]。10世紀の東ローマ皇帝コンスタンティノス7世ポルフュロゲンネトスは『帝国統治論』のなかでハザールの内乱にふれているが、その内乱は明らかにカガンとベクのそれぞれの関係者間の戦闘であった。この年代を833年から843年の間とすれば、ハザールのカガンは内乱によって843年までに実質的な権力を奪われ、名目的存在となったと思われる。ただし、聖者伝の『コンスタンティノス伝』によると、コンスタンティノスがハザールを訪れた860年頃ではカガンがまだ最高権力者であるかのように描かれている。しかしながら、ハザール・カガン国においてカガンの権威が時代と共に限定されてゆき、ベクが権力を掌握していったことは確かである。[9]
支配者層は、多くの遊牧国家と同様季節移動する豪華なテント群を宮廷とし、夏の間は草原地帯での生活を送り、冬は都イティルの周辺などで過ごした。

経済[編集]

9世紀以降ノルマン人の活動が盛んになり、バルト海からカスピ海北岸にかけて交易活動(ヴォルガ交易路英語版)で活躍した。当時のカスピ海は、イスラム側からは「ハザルの海」(アラビア語 بحر الخزر baḥr al-Khazarペルシア語 درياى خزر daryā-yi Khazar)と称されていた。ノルマン人は北欧ロシアから毛皮奴隷などをもたらした。ハザルは、魚のゼラチンを輸出した。その他、ユダヤ商人、ムスリム商人など様々な商人が訪れたことで、各地の商業ネットワークが結びついていた。南のカスピ海や黒海から、北のバルト海や北欧へと、ヴォルガ川やドニエプル川ネヴァ川ダウガヴァ川で結ぶ内陸水路による交易路を、「ヴァリャーギからギリシャへの道」と呼ぶ。

宗教[編集]

ハザールの元来の宗教は多神教とアニミズムであり、テングル・カガン(天王)が最も重要視された。しかしながら遊牧民の特徴として他の宗教には寛容であるため、イスラム教,キリスト教,ユダヤ教なども信仰された。[10]
9世紀に支配者層はユダヤ教に改宗し、一部の一般住民もそれに続いた。断定はできないがその理由として、東に位置するイスラームアッバース朝と、西に位置する正教会東ローマ帝国の双方から等距離を図るための選択という説がある。[11]

影響[編集]

黒海及びカスピ海の北にあったハザールがイスラーム帝国の北進に抵抗したことは、結果的にヨーロッパの東部からイスラーム化が進むのを防ぐ役割を果たした。もし、ステップのさまざまな遊牧民とスラヴ人が早い時期にイスラーム化していたとするならば、世界史の流れは一変していたはずである。[12]

ハザールの研究[編集]

史料[編集]

「キエフ文書」、ケンブリッジ大学図書館蔵
ハザールが衰える一方でブルガールが勢力を回復させ、首長アルミシュはアッバース朝に接近してハザールからの自立を図った。この際の922年にカリフムクタディルの使節に随伴したイブン・ファドラーン(Ahmad ibn Fadlan)による記録が『ヴォルガ・ブルガール紀行』として残されている。また954年から961年にかけて、後ウマイヤ朝のユダヤ教徒出身のワズィール(宰相)ハスダイ・イブン・シャプルト(Hasdai ibn Shaprut)とハザールのヨセフ・カガンとの間で交わされた往復書簡『ハザール書簡』(Khazar Correspondence)が残されている。さらにカイロシナゴーグのゲニーザー(文書秘蔵室)で発見された10世紀以降(ファーティマ朝時代)の文書(カイロ・ゲニーザー(Cairo Geniza))からも幾つかのハザール関連資料が発見された。ハザールのユダヤ教化の経緯等が書かれた無名のハザール人のハスダイ宛書簡(シェフター文書)やキエフテュルク系ユダヤ教徒の紹介状かつ寄付の呼び掛け状(キエフ文書 Kievian Letter)など。

ソ連・ロシアでの研究[編集]

ソ連の学者はハザールを北コーカサスの先住民とさせた。1930年代のソ連ではハザール帝国の遺跡発掘作業が活発化、ミハイル・アルタモノフ(Mikhail Artamonov)は労働赤旗勲章レーニン勲章を受章する。ロシアの歴史学会では、中世のカスピ海の水位上昇が、ハザール王国のカスピ海沿いの町に大洪水を起こさせたともされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB





ウクライナには、ハザール=ハン国というユダヤ人の国があった

2014-03-09 06:44:14 | 国際金融

今政情不安定で揺れているウクライナは、ハザール=ハン国の故地である。
ハザール=ハン国というのは、7~11世紀にかけて存在した国である。
現在焦点になっているクリミア半島もハザール=ハン国の領内に属した。
なぜこんなことを言うのかというと、現在世界の金融界を支配するユダヤ人の故郷がこのハザール=ハン国であるという説があるからである。
現在のユダヤ人には2つの流れがあって、
1つは、スペイン系の流れで、これをスファラディというが、
もう1つがユダヤ人の中心であって、ドイツ系のユダヤ人である。彼らをアシュケナージという。
このアシュケナージは東方ユダヤ人といわれ、中世に存在したハザール=ハン国から流れてきたものだと言われる。ロシアにユダヤ人が多いものこのためである。

近世以降クリミア半島は軍事的良港を求めて南下するロシアの垂涎の的になったが、現在ここを領有するウクライナは2004年のオレンジ革命以来、親欧米政策をとり、脱ロシアを目指している。

アメリカウォール街を中心とする世界の金融を牛耳っているのはユダヤ人勢力である。
ウクライナのオレンジ革命の資金源はそのあたりにあるのではないか。
ユダヤ人勢力は自分たちの故地を欧米勢力に組み入れたがっているのではないか。
欧米派のティモシェンコ元首相は見た目は美人だが、一癖も二癖もある人物だ。
毒を盛られて人相が変わってしまった元大統領のユシチェンコよりも、美貌のティモシェンコ元首相のほうが今も活発な動きをしている。
ここ数年、チュニジア革命から始まり、エジプト革命、リビア革命と不自然な革命が続いている。フェイスブックによる情報の拡散がその原動力になったといわれているが、そんなことだけで一国の政府が倒せるわけがない。必ずそれを仕掛けた組織があり、それを支援した資金源があるはずだ。
ユダヤマネーの動きは闇である。
もとKGB出身のプーチン大統領はそのことを知っているはずだ。

現在世界のマスコミはロシアがウクライナに対して最後通告まで突きつけて恫喝したという偽情報まで流してロシアを非難しているが、アメリカのマスコミを牛耳っているのもユダヤ資本である。




参考
以下はウィキペティアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB

ハザールの位置

「アシュケナジム・ハザール起源説」について[編集]
中世西ヨーロッパのユダヤ人口は数万人に過ぎなかったのに17世紀東欧のユダヤ人口が数十万あったことは西方からの移民では説明できない、などの傍証から、
今日ユダヤ教徒の大半を占めるアシュケナジムは、このハザール系ユダヤ教徒の子孫であるという説(つまりパレスチナに住んでいたユダヤ人の子孫ではなく、ハザール人やスラブ人の子孫であるという説)がある。
テルアビブ大学のユダヤ史の教授A.N.ポリアックが提唱した学説に依拠し、ハンガリー出身のユダヤ人作家アーサー・ケストラーの『第十三支族』によって、東欧ユダヤ人ハザール起源説は広く知られるようになり、
近年では、シュロモー・ザンドによって書かれた『ユダヤの起源』でも、この説について説明されている。
一方で、反論も多い。
13世紀ボレスワフ5世14世紀カジミェシュ3世、14世紀~15世紀ヴィタウタスのユダヤ人保護政策による、ポーランド王国リトアニア大公国への西欧からのユダヤ流入はハザール衰退よりかなり後のことである。
また通常16世紀初頭のポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)のユダヤ人口は数万人と見積もられ、
17世紀半ばの数十万人への増加を旧ハザール地域からの移民で説明しようとすると
10世紀以降のハザール国家解体から13世紀モンゴル帝国の攻撃・支配、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)やその後継諸国の統治に至るまで500年以上にわたって数十万人の人口を維持し続け、
16~17世紀にポーランド・リトアニアに移住したことになる。
だがキプチャク・ハン国やジョチ裔諸国に、人口比からすれば東欧を凌ぐほどの巨大なユダヤ社会が在り、16~17世紀にそれが崩壊したという話は伝わっていない。
また、『元朝秘史』、『元史』、『世界征服者史』、『集史』などのモンゴル帝国の資料では、バトゥの西方遠征軍によるブルガールやキプチャク諸部族、ルースィ諸国、カフカス方面のアス(イラン系アラン人)などの征服については書かれているが、ハザルについてはこれらの地域に存在していたような形跡や情報が全く出て来ない。
また、アシュケナジムの使用言語であるイディッシュ語の系統が西ゲルマン語群に属する高地ドイツ語標準ドイツ語)の一つである点もハザール起源説に無理がある理由である。
ハザールはテュルク系と考えられているが、イディッシュ語にはテュルク諸語との類縁関係が全くない。
アシュケナジムがハザール起源なら当然イディッシュ語にはテュルク系言語の特徴が残っているはずである。
ハザールがユダヤ教に改宗したのは(それがどの程度の規模であったかはともかく)確かであるが、それまで母語としてきたテュルク系言語まで捨てたとは到底考えにくい。
しかもハザールの故地にはカライ派ユダヤ教徒がいるが、彼らの使用言語であるカライム語はテュルク諸語の一つである。
このようにカライム人のカライム語はテュルク系言語として残っている一方で、アシュケナジムのイディッシュ語にはテュルク系言語的特長が全く残らずゲルマン系言語になっている。
この理由についてハザール起源説は何ら説明がない。

ハザール人とユダヤ人をむすびつける理論の現状[編集]

アラブ世界では、反シオニズム主義者[13]、反ユダヤ主義者たち[14]の間におけるこの理論への支持は高い。
こうした賛同者たちの議論では、もしアシュケナジーたちがかつてのハザール人であってセム系の起源を持たないのであれば、
イスラエルへの歴史的権利もなく、神による、聖書やクルアーンに見える、イスラエル人へのカナンの地の約束の主体でもなく、
それゆえ、宗教的シオニストとキリスト教シオニストの双方の理論的基盤が葬りさられるという。
1970年代と80年代には、ハザール人理論はロシアの排外的反ユダヤ主義者たちにまで広がり、
とくに歴史家Lev Gumilyovは「ユダヤ系ハザール人」を、7世紀以来、ロシアの発展を繰り返し妨害してきたものとして描き出している[15]
バーナード・ルイス は1999年につぎのように述べた。
この理論…はいかなる証拠からも支持されていない。専門分野において、すべてのまじめな学者たちから放棄されて久しい。それは、ハザール人理論が、ときおり、政治的な論争において用いられるアラブ諸国においても同じである。[13]
イスラエルの歴史家シュロモー・ザンド(Shlomo Sand)は、アシュケナジー・ユダヤ人たちのハザール人祖先という主題を、
その論争的な書物、『The Invention of the Jewish People』(2008年刊、邦題:『ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか』)において扱った[16][17]
ザンドが主張するところでは、イスラエルの歴史家たちは、ハザール人を祖先とするテーゼを傍流に追いやり、1951年から現在まで無視し続け、ヘブライ語でのハザール人についての一冊の歴史書も刊行されていないという[18]
歴史家たちからは、ザンドの調査の質に対する批判が行われている。
Simon Schama は、かれのザンドの本への批評で、つぎのように書いている[19]
アシュケナジーのユダヤ人の全体が、必ずハザール人の子孫に違いないと主張するのは、ちょうどまさに、中断のない系譜を無批判に主張することであり、ザンドは、ユダヤ人の歴史のより広い文脈にこのんで逆らおうとしている。
Anita Shapira は「ザンドはほとんど異端的で、議論を呼ぶような翻訳にかれの議論の基礎をおいており、さらには、重要な学者たちの信頼性を、彼らの結論を何ら証拠もなく否定することで、損なおうと試みている」と書いた[20]

遺伝学的研究[編集]

遺伝学の立場からは、この説を否定する研究結果が出されている。
ただしこれらの議論は「アシュケナジー=ハザール系」説を否定するもので、少数の「ハザール系アシュケナジー・ユダヤ人」が現存する可能性の是非については明らかでない
(もちろん、ハザール系アシュケナジーが少数いたことが証明されても、それは全てのアシュケナジーに適用されるものではないので、いわゆるハザール起源説は否定される)。
1999年のHammerらの研究(米国科学アカデミー紀要掲載)はアシュケナジム、ローマ系、北アフリカ系、クルド系、近東系、イエメン系、エチオピア系のユダヤ人を、それぞれの近接した地域の非ユダヤ人集団と比較した。
それによると
「異なった国々への長期の居住にもかかわらず、そして互いと隔離されていたにも関わらず、ほとんどのユダヤ系住民たちは、遺伝子レベルでは、互いと大幅な差異は示さなかった。
この結果は、ヨーロッパ、北アフリカ、そして中東のユダヤ人コミュニティの父系の遺伝子プールが、共通の中東の祖先集団の子孫であるという仮説を支持し、
かつ、ほとんどのユダヤ人コミュニティが、隣接した非ユダヤ人集団からディアスポラ以降も、相対的に隔離されていることを示唆している」[21]
Nicholas Wade によれば、「この結果は、ユダヤ人の歴史と伝統と一致し、ユダヤ人共同体の大半が改宗者からなるとか、ハザール人や、ユダヤ教に改宗した中世トルコ部族の子孫であるといった理論を反証している」という[22]
2001年のNebelらのY染色体ハプログループの研究によると、R1aハプログループの染色体(論文内では Eu 19 と呼称)は、東欧の住民の間では非常に高率(54%-60%)で出現するものだが、これがアシュケナジー・ユダヤ人の間では高い頻度(12.7%)を示す。
著者らは、これらの染色体グループは周囲の東欧の住民からアシュケナジムへの低レベルでの遺伝子の流入を反映しているか、
あるいは、ハプログループ R1a を持つアシュケナジーと、ほとんどすべての東欧住民の両方が、ハザール人の祖先をも部分的に持つことを示すと仮定している[23]
2003年のBeharらによるY染色体の研究によると、アシュケナジーのレビ氏族(かれらはアシュケナジー全体のおよそ4%を構成する)のあいだでは、ハプログループR1a1の所有率は 50% 以上だった。
このハプログループは、他のユダヤ人のグループでは珍しく、東欧住民の間では高い頻度を示す。
彼らの論じるところでは「R1a1 NRYの高頻度での所有をアシュケナジーのレビ氏族にもたらした出来事は、非常に少数の、そしておそらくは単一の始祖に関わるものである可能性が高い」。
彼らは、この遺伝子群の源泉であると思われる、「非ユダヤ系のヨーロッパ住民である、一人または複数の始祖がいて、その子孫がレビ氏族の成員となった」のだと仮定した。
そして、同時に、その代案としての「魅力的な源泉は、8世紀から9世紀にその支配階層がユダヤ教に改宗したと考えられているハザール王国だろう」という。
彼らの結論としては
「アシュケナジー・ユダヤ人の多数派のNRYハプログループの構成も、アシュケナジーのレビ氏族の間のR1a1ハプログループのマイクロサテライト・ハプロタイプの構成も、幾人かの著者たち(Baron 1957; Dunlop 1967; Ben-Sasson 1976; Keys 1999)が推測したような、多数のハザール人やその他のヨーロッパを起源とするものではないが、
現在のアシュケナジーのレビ氏族に、ひとり、または複数の、そうした始祖による重要な貢献がある、ということを否定することはできない」というものであった[24]
2005年のNebelらによるY染色体多態マーカーに基づく研究は、
アシュケナジー・ユダヤ人は、他のユダヤ人や中東の諸集団に、ヨーロッパでの隣接住民よりも近いことを示した。
しかし、アシュケナジー男性の11.5%は、東ヨーロッパで支配的なY染色体ハプログループである、ハプログループR1a1(R-M17)に属することが判明し、これは、この二つの集団の間に、遺伝子の流れが存在することを示唆している。
著者たちは、「アシュケナジムのR-M17染色体は神秘的なハザール人の名残を表す」という仮説を立てた。
かれらの結論するところでは、
「しかしアシュケナジー・ユダヤ人の間でのR-M17染色体が実際に、神秘的なハザール人の名残を意味するとしても、
我々のデータに従えば、この貢献は、単一の始祖あるいは数人の非常に近い血縁の男性たちに限定され、現在のアシュケナジーの12%を超えることはない」[25]
2010年のAtzmonらによるユダヤ人の祖先の研究では、
「主要な成分、系統、そして家系上の同一性(IBD)の分析から、二つの主要グループ、中東のユダヤ人とヨーロッパ・シリアのユダヤ人が識別された」 ヨーロッパ・ユダヤ人たちが互いと、そして、南欧の住民達と、IBDセグメントを共有し、近接しているということは、ヨーロッパのユダヤ人たちが共通の起源を持つことを示唆しており、
中東欧のあるいはスラブ系の住民が、アシュケナジーのユダヤ人の形成に大きな遺伝的貢献をしたことを反証している[26]

イディッシュ語スラブ系説[編集]

通説によれば[要出典]イディッシュ語ライン川地方に起源をもち、変形したドイツ語を基礎に、スラブ諸語ヘブライ語アラム語ロマンス諸語からの借用語を交えたものとされてきた。
1993年、テルアビブ大学の教授である言語学者ポール・ウェクスラー (Paul Wexler) は
イディッシュ語がスラブ系言語に起源を持ち、後にドイツ語の語彙を取り入れたものであることを示し、
東欧のアシュケナジムはユダヤ教に改宗したスラブ系およびトルコ系民族にごくわずかの中東系ユダヤ人が合流したものであるとする
『The Ashkenazic 'Jews': A Slavo-Turkic People in Search of a Jewish Identity』を発表している。
ポール・ウェクスラーの説は、12世紀以前にユダヤ人との接触やキリスト教化への反発を背景に、ユダヤ教に改宗したスラヴ人がアシュケナジムの主体となったと説明しており[27]
ハザール起源説と言うよりスラヴ起源説の色がある。

http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/5bb83340d49795e63dd6002d2740abc4

2014年6月28日土曜日

カザール(ハザール)人は詐欺師? ユダヤ人の神話と血統  Khazar Jewish DNA


シオニストのパレスチナ侵略と圧制 イスラエルの真実 その1


真のユダヤ教徒はイスラエル国家を認めない


ユダヤ人のアイデンティティはシオニズムにハイジャックされた #zionism


シオニストたちのソロモン神殿建設計画 3D映像 イスラエル


ソロモン神殿再建を推進する人々  イスラエル


映画「第3神殿」PV trim


ユダヤの黙示録大予言と第3次世界大戦への序曲③ ムーの基礎知識 2013年10月号


「2014年5月第3神殿建設開始で中東戦争勃発jか!?」ムーの基礎知識2014年4月号


講演 「第3次世界大戦勃発!?」~2014年イスラエル第3神殿建設なるか~


第3神殿予告編日本版


Jerusalem Ufo - Dome of the Rock - Close up - The full movie of the Flyi...


UFO動画2011「聖地に神降臨を思わせる光球浮遊」・・・これって、元気玉じゃね?


【神様?!】エルサレム神殿上空に突然現れた発光体(UFO?!)


2014年6月27日金曜日

STAP検証実験には監視カメラ

STAP検証実験には監視カメラ

2014年6月26日(木)20時42分配信 共同通信


記事画像

STAP検証実験には監視カメラ

         報道陣の取材に応じる理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの竹市雅俊センター長=26日午後、神戸市 [ 拡大 ]
       


 STAP論文問題で、小保方晴子氏が所属し、解体を提言された理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の竹市雅俊センター長は26日、共同通信などの取材に応じ、STAP細胞の有無を調べる検証実験に小保方氏が参加する条件として「監視カメラなど、不正行為が絶対できない環境を整えることが必要」と話した。
 STAP細胞の有無について竹市氏は「データの解析など間接的な証拠はSTAPという現象に否定的であると認識している」と指摘。その上で「決定打ではない。科学的な実験でSTAP現象の有無を決着すべきだ」と述べた。

2014年6月26日木曜日

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地上の星 / 中島みゆき


アザミ嬢のララバイ / 中島みゆき


あした天気になれ / 中島みゆき


ひとり上手 / 中島みゆき


わかれうた / 中島みゆき


悪女 / 中島みゆき


時代 / 中島みゆき


横恋慕 / 中島みゆき


旅人のうた / 中島みゆき


ヘッドライト・テールライト / 中島みゆき


パーキンソン     パーキンソン病関連疾患(3)パーキンソン病(公費対象)


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パーキンソン病関連疾患(3)パーキンソン病(公費対象)

ぱーきんそんびょうかんれんしっかん ぱーきんそんびょう
この病気は公費負担の対象疾患です。公費負担の対象となるには認定基準があります。

1. パーキンソン病とは

ふるえ、動作緩慢、小刻み歩行などを主な症状とする病気です。

2. この病気の患者さんはどのくらいいるのですか

日本では、人口10万当たり100~150名の患者さんがおられます。

3. この病気はどのような人に多いのですか

発症年齢のピークは、50歳代後半から60歳代にあります。従って比較的高齢者に多いといえます。しかし、例外的に20歳代の発症者や、80歳を超えてからの発症者もあります。男女比は、日本では女性の方が長命なので、女性の方に少し多いですが、発生頻度は男女同数です。

4. この病気の原因はわかっているのですか

脳内の中脳という場所の黒質という部分の神経細胞の数が減ることが原因です。ここの神経細胞は、ドパミンという神経伝達物質を作ります。ドパミンはこの細胞が伸ばした突起を通して線条体という部分に運ばれ、突起の先端に貯蔵されて必要に応じて利用されます。したがってパーキンソン病では線条体のドパミンが減少します。黒質のドパミンを作る細胞がなぜ減るのかはまだよくわかっていませんが、細胞の中にレビー小体というタンパク質が溜まることと関係があると考えられています。レビー小体が溜まる原因として、いくつかの仮説が提唱されていますが、真相はまだ判っていません。

5. この病気は遺伝するのですか

通常遺伝はしませんが、若年発症の一部は、家族性に起きます。

6. この病気ではどのような症状がおきますか

四大症状は(1)安静時のふるえ、(2)筋強剛(筋固縮)、(3)動作緩慢、(4)姿勢反射障害です。このほか(5)同時に二つの動作をする能力が低下し、(6)自由な速さのリズムが作れなくなります。
パーキンソン病に特徴的なのは力を抜いてリラックスしたときのふるえです。ただし力を入れたときにふるえることもあります。筋強剛とは関節を曲げ伸ばしするときに強い抵抗を感じることです。このため動作がぎこちなくなります。パーキンソン病では動作が遅いのみならず、動きそのものが少なくなります。患者さんはまばたきが少なく、表情ひとつ変えず、寝返りもしません。動けば遅く、スローモーションを見ているようです。  
姿勢反射とは体が傾いたときに足を出して姿勢を立て直すことです。これが障害されると転びやすくなります。
同時に二つの動作をする能力が低下すると、お盆にのせたお茶をこぼさないよう気を配ると足が出なくなり、クラッチを踏みながらギア操作をするマニュアル車の運転が難しくなります。
自由な速さのリズムが作れず、全てのリズムが1秒間に4~5回のふるえのリズムに合うようになります。その結果1分間に240~300歩で歩こうとするので足がすくんで前に進まなくなります。
パーキンソン病は左右どちらか片側から発症します。2~3年すると反対側にも症状が現れますが、長年経過しても左右差を認めるのが普通です。初発症状はふるえが最も多く、次いで動作のぎこちなさが多いのですが、痛みで発症することもあります。五十肩だと思って接骨院にかかっていたら、ふるえが出てきてパーキンソン病だと判ったといった具合です。しかし最初から姿勢反射障害や足のすくみで発症することはありません。左右差を認めない症例や、姿勢反射障害や足のすくみで発症する症例は、パーキンソン症状を呈するパーキンソン病以外の病気を疑う必要があります。このような病気は「パーキンソン症候群」としてパーキンソン病と区別されます。具体的には(1)薬剤性パーキンソニズム、(2)脳血管性パーキンソニズム、(3)進行性核上性麻痺、(4)多系統萎縮症のパーキンソン型、(5)大脳皮質基底核変性症、(6)特発性正常圧水頭症などが含まれます。

7. この病気にはどのような治療法がありますか

治療の基本は薬物療法です。大きく分けて8グループの薬が使われます。それぞれには特徴があり、必要に応じて組み合わせて服薬する必要があります。どの薬も病気を根本的に治療する「原因治療薬」ではありません。不足しているドパミンを補うことで症状を緩和する「補充療法薬」です。したがって薬を服薬しているときは症状が良くなりますが、服薬を止めれば症状は元に戻ります。もう一つの治療法として手術療法がありますが、これも対症療法であり根本治療ではありません。以下に8グループの薬を解説します。レボドパとドパミンアゴニストが基本薬で、その他の薬は補助薬になります。詳しくは図を参考にしてください。また、従来から手術治療も行われてきました。特に2000年の4月から脳深部刺激治療が保険適応となり、選択肢の幅が広がりました。
ドパミン代謝と治療薬の図
<図の説明>
ドパミンの原料はチロシンです。チロシンはチロシン水酸化酵素(TH)の働きでDOPAに、DOPAはドパ脱炭酸酵素(DDC)の働きでドパミンになります。ドパミンは中脳の黒質にあるドパミンを作る細胞で作られ、突起を通り線条体まで運ばれ、ここで突起の先端に貯蔵されます。ドパミンは必要に応じて突起の先端から分泌され、線条体の細胞にあるドパミン受容体に結合して情報を伝えます。仕事を終えたドパミンはドパミンを作る細胞の突起の先端に取り込まれて再利用されるとともに、MAOあるいはCOMTと呼ばれる酵素によって分解されます。線条体ではドパミンのほかにアセチルコリンという神経伝達物質があって、両者はバランスをとっています。パーキンソン病ではドパミンが減少するため、相対的にアセチルコリンが過剰になります。これが抗コリン薬を治療に使う理由です。ドパミンはドパミンβ水酸化酵素の働きでノルエピネフリンになります。パーキンソン病が進行すると、ノルエピネフリンも不足します。

薬物療法

(1)L-dopa(レボドパ)

最も強力なパーキンソン病治療薬です。1970年代のこの薬の登場は、パーキンソン病の治療に画期的な進歩をもたらしました。それまで発症後5年で寝たきりだったのが、10年経っても歩けるようになりました。ところがレボドパの服薬期間が長くなると、さまざまな問題が起こります。最大の問題は薬効の変動です。レボドパの作用時間は短いため、内服すると動けるようになりますが、2時間もすると効果が切れて急に動けなくなります。これを英語で擦り切れるという意味のウェアリングオフ(wearing-off)現象と呼びます。効果が切れて動けなくなるのを恐れてレボドパを過剰に服薬すると、今度は身体が勝手に動くレボドパ誘発性の不随意運動(ジスキネジア)が出現します。
パーキンソン病の脳内で不足するのはドパミンです。脳内のドパミンを補充すれば元のように動けるようになりますが、ドパミンを服薬しても血液中から脳内に入りません。そこでドパミンの前駆体であるDOPAを薬として服用します。DOPAにはL型とR型がありますが、このうちL型だけが脳内に入るので、L-dopa(レボドパ)が使われます。しかし消化管や血液中にはDOPAをドパミンにするドパ脱炭酸酵素(DDC)が豊富にあるため、レボドパだけ服薬する とDDCにより分解されてしまいます。そこで1980年以降わが国ではレボドパと末梢性DDC阻害薬との合剤(商品名:イーシードパール、マドパー、ネオドパゾール、メネシット、ネオトパストンなど)が一般的に用いられています。なお、レボドパは血液中のCOMTという酵素によっても分解されます。そこで末梢性COMT阻害薬であるエンタカポン(商品名:コムタン)を同時に服薬することも行われています。

(2)ドパミンアゴニスト

レボドパの副作用を克服するために開発されたのが、作用時間の長いドパミン受容体刺激薬(アゴニスト)です。我が国では現在6種類のドパミンアゴニストが使用可能です。ドパミンアゴニストは長くのみ続けても、薬効の変動(ウェアリングオフ現象)やジスキネジアが生じにくいことがわかっています。しかしレボドパより効くのに時間がかかり、また吐き気や幻覚妄想などの副作用が出やすいという欠点があります。薬効の変動やジスキネジアの起きやすい若年の症例は、なるべくドパミンアゴニストで治療を開始した方が良いでしょう。いずれレボドパが必要になる日が来るのですが、今後の長い人生を考えるとレボドパの服薬開始を少しでも遅らせて、薬効の変動を先送りしたいからです。一方高齢の症例は、最初からレボドパで治療開始して良いでしょう。効果は確実ですし、高齢者は薬効の変動(ウェアリングオフ現象)やジスキネジアが起きにくいと言われています。6種類のドパミンアゴニストはそれぞれ特徴があるので、使い分けが必要です。詳しくは専門の先生と相談してください。また、ペルゴリド(商品名:ペルマックス)やカベルゴリン(商品名:カバサール)で心臓弁膜症や肺線維症が起きたという報告があります。そこで、これらの薬を使用するときは心エコー検査等で定期的に心臓の弁をチェックすることになっています。一方、プラミペキソール(商品名:ビ・シフロール)やロピニロール(商品名:レキップ)では、運転中に突然入眠して事故を起こす「突発的睡眠」が起こることがあるため、服薬中は運転しないよう警告が出されています。

(3)抗コリン薬

パーキンソン病の治療薬として最初に使われた薬です。トリヘキシフェニジール(商品名:アーテン)が有名です。パーキンソン病ではドパミンの減少に伴って、もうひとつの神経伝達物質であるアセチルコリンが相対的に過剰になります。それを減らす目的で使われます。効果は弱いのですが、振戦に対して有効なことがあります。なお、認知症の原因となるアルツハイマー病では、最初に脳内のアセチルコリンが減少します。したがって高齢者が抗コリン薬をのむと、物忘れや幻覚・妄想などアルツハイマー病に似た症状が出ることがあるので注意が必要です。

(4)塩酸アマンタジン

塩酸アマンタジン(商品名:シンメトレル)は元々抗ウイルス薬として開発され、A型インフルエンザの治療薬としても使われています。線条体でのドパミン放出を促す働きがあるほか、ジスキネジアを抑制する効果が知られています。ただし全ての患者さんに有効なわけではなく、また副作用として幻覚や妄想が出やすいので注意が必要です。

(5)ドロキシドパ

長期経過したパーキンソン病で問題になる症状のひとつに、「足のすくみ」があります。これにはもう一つの神経伝達物質であるノルエピネフリンの関与が示唆されています。ノルエピネフリンはβ水酸化酵素によってドパミンから合成されるため、ドパミンが減るとやがて不足します。前駆体であるドロキシドパ(商品名:ドプス)はそれを補うために使われます。ただし全ての患者さんに有効なわけではありません。このほか意欲低下や立ちくらみを改善する効果が知られています。

(6)MAO-B阻害薬

MAO-B阻害薬である塩酸セレギリン(商品名:エフピー)はMAOの活性を低下させてドパミンの分解を抑制します。これによりレボドパの効果は延長しますが、ジスキネジアは悪化することがあります。MAO-B阻害薬はノルエピネフリンやセロトニンなど他の神経伝達物資の分解も抑制するので、服薬すると意欲が出て気分が明るくなる傾向があります。その一方で、幻覚・妄想や夜間不眠などに注意が必要です。作用時間は非常に長いので、1日1回(朝)か2回(朝と昼)の服薬で十分です。

(7)末梢性COMT阻害薬

吸収されたレボドパは血液に入り、血液脳関門を通って脳に入ります。血液の中にはドパ脱炭酸酵素(DDC)やCOMTという酵素があり、レボドパを分解します。現在使われているレボドパ製剤の多くは、レボドパと末梢性DDC阻害薬の合剤です。このため、レボドパはCOMTによって分解されます。末梢性COMT阻害薬のエンタカポン(商品名:コムタン)はそれを防いでレボドパが脳内にたくさん入るようにする薬です。非常に良く効いてレボドパの薬効の変動(ウェアリングオフ現象)が無くなる患者さんも居ますが、全く効果を認めない患者さんも居て、個人差が大きいのが特徴です。コムタンの効果は短いので、毎回レボドパと同時に服薬する必要があります。

(8)ゾニサミド

この薬は、既にてんかんの治療薬として使われていましたが、2009年にパーキンソン病に使うことが認められました。パーキンソン病に使う薬は商品名トレリーフで、1錠が25mgです。一方、てんかん予防に使うのは商品名がエクセグランで、1錠100mgです。間違えないようにしましょう。他の薬と違って、どうしてパーキンソン症状を改善するのか、その理由は完全には解明されていません。他の薬による治療が奏功しないときに使う薬で、レボドパとの併用が基本です。全ての患者さんに有効なわけではありません。この薬も作用時間は長いので、1日1回の服薬で十分です。
パーキンソン病では、複数の薬を組み合わせて服薬することがよくあります。薬によって、服薬のタイミングが異なりますので、その理由をよく理解して服薬することが大切です。また、パーキンソン病の治療薬以外の薬を併用するときには、飲み合わせに注意することも大切です。服薬する全ての薬を、主治医に確認してもらってください。

手術療法

パーキンソンの手術療法の歴史は長く、定位脳手術が開発されたのは1947年のことです。定位脳手術とは、頭蓋骨に固定したフレームと脳深部の目評点の位置関係を三次元化して、外から見ることのできない脳内の目評点に正確に到達する技術です。頭蓋骨に開けた小さな穴から針を刺すだけなので、手術侵襲は非常に軽くて済みます。1950年代から60年代にかけて、この手術はさかんに行われました。当時はCTスキャンもMRIも無い時代で手術の危険性は高かったのですが、有効な薬が誕生する前だったため、手術を希望する人がたくさんいました。1970年に強力な治療薬であるレボドパが出現すると、手術を受ける人は激減しました。しかし、レボドパをのみ続けるとさまざまな問題が起こります。それを回避する手段として、1980年代後半から再び定位脳手術がリバイバルしました。技術革新によって、1950~60年代とは比べものにならないほど正確かつ安全に手術が出来るようになったことも関係しています。
脳内の特定の部位を破壊すると、パーキンソン症状が改善することが判っています。目標となるのは視床、淡蒼球、視床下核の3ヶ所です。どの部位を治療すると、どの症状が良くなるかは、これまでの経験からだいたい判っています。
定位脳手術には、熱を加えて目標点を破壊する従来の方法(凝固術)のほか、脳深部刺激治療(DBS:deep brain stimulation)があります。DBSは脳深部に電極を留置し、前胸部に植え込んだ刺激装置で高頻度刺激する治療法です。高頻度刺激すると、神経細胞は活動を休み、そこを破壊したのと同じ効果が得られます。我が国では2000年4月から保険適用が認められました。DBSは脳を破壊しないので手術合併症が少ないかわり、異物が体内に残るため感染や断線の危険があります。
パーキンソン病の定位脳手術は特殊な技術を要するため、限られた病院でのみ実施されています。手術療法も、病気の原因を根本的に治す根治療法ではありません。一時的に症状を改善する対症療法です。手術は服薬と比べてリスクを伴いますので、現在の病状や予想される結果を主治医と十分相談してから受けることが大切です。

8. この病気はどういう経過をたどるのですか

近年、新薬や脳深部刺激など新しい治療法の開発により、パーキンソン病の経過は著しく改善し、生命的には、ほぼ天寿を全うできるようになりました。薬を服用しながら就業しているひともたくさん居ます。しかし、少しずつ症状が進んでいく場合も少なくありません。薬に対する反応は患者さんごとに異なりますし、副作用のために十分な薬が服用できないこともあります。パーキンソン病自体は命にかかわる病気ではありません。しかし転倒して骨折したり、誤嚥性の肺炎を起こしたりして寝たきりになることがあります。このような合併症を起こさないように気をつけましょう。

ペルマックス・カバサールを服用される患者様へ


ペルマックス・カバサールはパーキンソン病治療薬の中で麦角系ドパミン作動薬と呼ばれるグループに属する薬です。この薬は、脳内の神経伝達物質であるドパミンの受容体を刺激して、パーキンソン病の症状である手足の振るえ、筋肉が硬くなる、動作緩慢、歩行障害などを改善します。これらの麦角系ドパミン作動薬において心臓弁膜症(心臓の弁の異常による血液の逆流)があらわれることがまれにあります。このお薬を安全に使用していただくため、以下の注意事項を必ずお読み下さい。

心臓の弁の異常が起こると、下記のような症状があらわれます。このような症状に気づいたら、必ず主治医や薬剤師にご相談下さい。

本剤使用後に2週間以上続く息切れ、呼吸困難(息苦しさ)、動悸(胸がどきどきする)、むくみといった症状があらわれた場合

このほかにも、気になることがありましたら、主治医や薬剤師にご相談下さい。

・心エコー検査を行うと、弁膜症による異常な逆流は、薬剤を服用していない一般人口でも約10%に認められ、又、60~83歳の一般高齢者においては、20~30%に認められています。そのため、心エコー検査に異常がある場合でも、薬剤を減量又は中止すべきかどうかは医師が総合的に判断します。ペルマックス・カバサールの服用を急に止めますと、急激な体温上昇、筋肉のこわばりなどの症状が出る悪性症候群を起こす可能性がありますので、自己判断での服薬中止は絶対に避けてください。
(The Framingham Heart Study Jagmeet P. Singh, MD, Dphil, et al, Am J Cardiol 1999; 83: 897-902)

・しかし、これらの薬剤を服用していても、上記のような変調がなく順調に経過していて、心エコー等に異常がないことが確認できた場合は、その後も定期的な検査を続けながら薬物を継続しても何ら問題ありません。

<検査について>


心臓の異常がないかどうかを確認するために、本剤投与開始時と、投与中に聴診、心エコー検査などを行い、心エコーでは、超音波を用いて、心臓や弁の形や動き、血流を検査します。ベッドに横になり、胸にゼリーを付けて検査用器具を当てて検査します。検査時間は30分程度の検査で、身体に害はなく、痛みもありません。

<参考>


・海外の疫学調査によれば、特にペルマックスおよびカバサールを3mg/日以上投与されている場合、心臓弁膜症を起こすリスクが高いと報告されています。

・日本での承認維持用量は、ペルマックスは0.75~1.25mg/日、カバサールは2~4mg/日です。

ビ・シフロール・レキップ服用時の警告


前兆のない突発的睡眠及び傾眠等がみられることがあり、また突発的睡眠等により自動車事故を起こした例が報告されているので、患者に本剤の突発的睡眠及び傾眠等についてよく説明し、本剤服用中には、自動車の運転、機械操作、高所作業等危険を伴う作業に従事させないよう注意すること。

この疾患に関する関連リンク


パーキンソン病と関連疾患(進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症)の療養の手引き

情報提供者
研究班名神経・筋疾患調査研究班(神経変性疾患)
研究班名簿  研究班ホームページ 
情報見直し日平成23年7月8日

http://www.nanbyou.or.jp/entry/169

安倍晋三の難病とは?新薬アサコールとは?   潰瘍性大腸炎


安倍晋三の難病とは?新薬アサコールとは?


26日に行われた自民党総裁選の決選投票で、安倍晋三元首相(58)が、石破茂前政調会長(55)を破り、第25代自民党総裁になりました。
次回の総選挙で、第一党になると予想される自民党の総裁になったわけですから、安倍氏が再び総理の座に付くことが現実味を帯びてきましたね。
安倍氏と言えば、総理に就任して僅か1年後の2007年9月の臨時国会開催中に、突然、病気が原因の体調不良を理由に辞任を表明し「無責任の極み」と野党からボロッカスに言われた人ですが、今度は大丈夫なんでしょうか?
気になる病状に関して安倍氏は、「画期的な新薬が登場し、すっかり難病を克服することができた。今は心身ともに健康だ」と言ってますが、安倍氏が患った「難病」と、それを克服することが出来た「新薬」とはいったいどんなものなんでしょうか?

安倍晋三の辞任の原因となった潰瘍性大腸炎

潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)とは
大腸粘膜が炎症を起してただれてしまい、
びらんや潰瘍(かいよう)ができる病気。
原因不明で、治療にも抵抗性があることから
厚生労働省に難病指定されており、医療費の公費負担対象になっている。
潰瘍性大腸炎は、もともと欧米人に多く日本人に少ない病気だったが、
近年、患者数は10万人を超え、毎年5000人ずつ増えている。
食生活の欧米化などが原因ではないかと言われている。
★潰瘍性大腸炎の症状★
代表的な症状は、血便、粘血便、下痢、腹痛。
ひどくなると、体重減少、貧血、発熱が現れる。
主に粘血便と下痢で病気を自覚するケースが多い。
潰瘍性大腸炎は、一度良くなったように感じても、
数ヵ月後~数年後に悪化することがある。

治療法
【軽症の場合】
外来での治療が可能。
5-ASA製剤、副腎皮質ステロイド薬の内服
又は、これらの薬剤を坐薬、注腸製剤にしたものを肛門から入れる。
【重症の場合】
入院し、5-ASA製剤に内服に加えてステロイド薬を静脈内投与する。
絶食が必要となる為、中心静脈栄養が必要になる。
ステロイド治療で効果が得られない場合は、白血球除去療法を用いる。
白血球除去療法とは、炎症の原因となる白血球を
フィルターで取り除いてから体内に戻す治療法。
これらの治療で症状が改善されず、依然として激しい症状が続く場合や
何度も悪化して社会生活に支障が出る場合は、
大腸摘出手術が必要になる。

潰瘍性大腸炎は難病に指定されている病ですが、適切な治療を受ければ
ほぼ完全な社会復帰、結婚生活、妊娠・出産も可能とのことです。

あと、肉体的・精神的ストレスは病気を悪化させるきっかけになる為、
ストレスを受けないようにすることが重要とのことですが、
これはどの病気にも言える事ですね。

安倍氏の闘病について

※この項目は、週刊文春で連載されている池上彰さんのコラムに書かれていた事を
追加して再編集しました。
安倍氏が潰瘍性大腸炎を発症したのは中学3年生の時で、
腹痛の後、下痢と血便が続いたそうです。
病名が判明したのは大学を出て神戸製鋼所に入社してから。
その後の闘病については、
日本消化器病学会の広報誌「消火器の広場2012年秋号」に書かれています。
それによると安倍氏は、1998年、自民党の国会対策副委員長の時、
「政治家は志を遂げるために自分の病気は徹底して秘匿しなければならない」
という理由から、極秘で三ヶ月、慶応病院に入院していたそうです。
この時の治療に効果が有ったことで、政治家人生を断念せずに済んだ安倍氏は、
2006年9月、第90代内閣総理大臣に就任。
しかし、その後が大変だったようです。
「総理大臣は想像していたより何十倍もの激務でした。
機能性胃腸炎にかかり、お粥と点滴で栄養補給をしながら
海外諸国を訪問するような有様でした」

~文春ソースはここまで~
また、安倍氏の症状は1日に30回以上もトイレに駆け込むほどだったとも
言われています。
こんな状態で国会や各種会議に出ることは出来ませんよね。
いきなり辞めて無責任だのなんだの言っていた連中は、
安倍氏の病気や症状を知った上で言ってたんでしょうか?
どんな病気もそうですが、一番大事なのは
周りの人が病気を理解するという事だと改めて思いました。

安倍晋三が病を克服した新薬アサコール

安倍氏を病から救った『アサコール』は、
2009年10月に日本で認可された潰瘍性大腸炎の治療に用いられる薬。
下部消化管(回腸から大腸)に到達してから、
有効成分(メサラジン)が放出されるように製剤設計されている為、
下部消化管病変に対する効果が期待できる。
副作用は少ないと言われている。
スイスで開発され、スイス国内では1984年11月に承認。
その後、1985年にイギリス、1987年にドイツ、1992年にアメリカで承認される。
2009年の時点でアサコールを承認した国は64カ国。
2011年1月から長期処方が可能になったことで、
症状の改善が見られる患者が飛躍的に増えている。
販売はゼリア新薬工業株式会社で1錠の値段は86.1円。
前出の「消火器のひろば」の中で、
安倍氏はアサコールについてこう語っています。
『アサコールという飲み薬が画期的に効いて寛解状態が続き、
「また悪くなるのでは」との懸念がなくなり、精神状態も本当に楽です』

参考までに、アサコールを服用している人達が集う掲示板を貼っておきます。
アサコール効果 – 潰瘍性大腸炎掲示板

3500円のカツカレー

安倍自民党総裁が選挙前に3500円のカツカレーを食べたことに
「庶民感覚が無い!」と的外れな非難をしているマスゴミがいるようで、
ほんと、困ったもんです。
安倍氏が患っていた潰瘍性大腸炎は食事制限が厳しく、
油脂類、食物繊維、乳製品を控えなければならず、
特に動物性の脂肪は御法度だそうです
ほんま、どこのアホか知らんけど、総裁に就任した時くらい
本日、自民党総裁に就任した安倍元首相が
総裁選挙前にげんを担いで食べたのはカツカレー。

安倍氏の患っていた潰瘍性大腸炎は難病と指定される病気で
食事制限も厳しく、特に動物性の脂肪は厳禁!

そんな安倍氏がカツカレーを食べるという事は、
「今は心身ともに健康だ」という発言を証明するものではないでしょうか

ってな感じのコメントを出してもバチは当たらんやろ!
それともスーパー玉出の弁当食べてりゃ文句言わんのかい!
ほんま、どこのマスゴミやねん!と思って調べてみると、
毎日放送(MBS)の「ちちんぷいぷい」という番組であることが判明・・・
だああああああーーーーーーっ!ネタ元は大阪かい!!!
なんちゅう面汚しの放送しとんねん!
MBSはバツとして、一日中『じゃがポテ仮面』流しとけ!
以上!
潰瘍性大腸炎を患っている方の意見 「今は調子が良いから」という素人判断で安易に普通食を食べるのは避けるべきであり、
食事内容に関しては、必ず医師に相談し、許可を得てからにして下さい。

詳細は当記事のコメント欄を参照して下さい。

http://gucchoi.com/archives/2717

2014年6月25日水曜日

ALSとは何か?    筋萎縮性側索硬化症(ALS)  筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、amyotrophic lateral sclerosis、略称:ALS)




筋萎縮性側索硬化症(以下ALS)は、運動をつかさどる神経を侵し、筋肉を萎縮させる、進行性神経疾患です。患者やその家族にとって、受け入れるには最も厳しい病気のひとつであると言われています。
ALSは、1874年、フランスのシャルコー医師によって最初に、定義付けされて以来、現在に至っても、治療法も、進行をおさえる医学的対処法も無いと言われています。しかし、最近、リルゾールやIGF-1といった、ALSの進行を遅らせた、もしくは、遅らせるだろうと言われる薬が開発されており、臨床試験が行われています。ALSは、腕の筋肉、脚の筋肉、姿勢を保つ筋肉、顔の筋肉、舌の筋肉、話す筋肉、ものを飲み込む筋肉、および、最終的には呼吸する筋肉を侵します。また、時期に逸した、または過度の情緒的反応といった感情面にも影響を及ぼします。しかし、思考能力、知性、感覚/触覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚、目の動き、自律筋の心臓、便通、膀胱、性的機能といったものは影響を受けません。ALSには、特発性の(遺伝ではなく、誰にでも起こりうる)ものと、遺伝性の(一族に起こる)ものの2つのタイプがあります。
一般的なものは、特発性ALSで、ALSの症例のの90%以上がそれであると言われています。病気の原因は不明で、ランダムに誰もがかかるものと思われます。
遺伝性ALSの症例は、残りのパーセンテージ(10%以下)で両親から優性遺伝すると言われています。この場合、ALSの家系は、その血族全体を含み、患者を介してその子どもに移るのは、フィフティフィフティとも言われています。もし、両親や他の血族にALSが無かったら、あなたは特発性タイプと判断され、また、あなたの子どもに遺伝するとは考えられません。現在のところ、全ての遺伝性ALSに対して、“ALS遺伝子”を検出するための、血液や遺伝子のスクリーニング試験は無い様ですが、染色体21の欠損に対する試験は行われました。しかしながら、この欠損は、遺伝性ALSの患者の約20%の人々に、あるだけでした。
こうした研究は、今後も計画されていますが、結果を得るには、多くの月日がかかるものと予想されます。ALSは、一年に10万人に1人の割合でかかる病気と言われている、非常に珍しい病気です。また、40歳以上で、かつ、女性よりも男性の方がやや多くかかるとも言われています。
一般的な死因は呼吸困難で、生存期間は、病気の進行(症状の進行の順番)と同様、多様で、確定できませんが、医学書では、平均的には3から5年、患者の5年後の生存率が20%と書かれています。しかし、生存年数に達したから死ぬという訳ではないことを、ここで明確にしておきます。まず第一に、これらの数字は、何千人かの平均値であって、患者個々が、どうなると言っている訳ではありません。進行は個々によって違いますし、知らない間に進行の止まる人や、長い期間生存している人がいるという報告もあります。また、医学の進歩で、胃ろうや家庭用呼吸器等を使うことによって、生存期間の長さが延びただけでなく、生活の質も良くなっています。
諦めたり、投げやりになったりせずに、やすらかな心の状態を保つことが、病気の治癒にとって、大事な事だと思います。ALSに影響がある運動神経には2つのタイプがあります。ひとつは、上位運動ニューロンと呼ばれるもので、脳から始まって、脊髄に延びているものです。その神経が影響を受けると、けいれん、筋肉の脆弱化、過度の腱反射などが生じます。
もうひとつは、下位運動ニューロンと呼ばれるもので、上位運動神経の端から、個々の筋肉に至る神経です。この神経が影響を受けると、麻痺に先行する筋力低下、筋肉の消耗、腱反射の損失などが生じます。
それらの神経が機能障害になると、筋肉のファシキュレーションと呼ばれる症状現れ、ALSの判断材料とされます。また、運動ニューロンには、会話や飲み込みと言った特別な機能を制御する集合があって、これらは脳幹から直接延びてきています。これが傷害を受けると、球麻痺と呼ばれる症状が生じます。 ALSは、診断を下すための、単独の検査がありません。そのため、時には1週間以上の期間をかけて、徹底した試験と数多くの検査が必要となります。


このページはDoug Jacobson 氏のホームページ に掲載されている、Dr.D. Eric Livingston 氏の文章の”ALS:A Guide for Patients”の中の ”What is ALS ?” をもとに、一部、私の得た情報を加えて編集したものです。専門用語や英語的表現で、正確に訳せなかった部分や、誤訳、勘違い等が、あるものと思いますが、お許し下さい。
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筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、amyotrophic lateral sclerosis、略称:ALS
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