300x328-126.6kB-安岡正篤「一日一言」 | 致知出...
「知識・見識・胆識」
山口勝朗(元全国師友協会事務局長)(『安岡正篤に学ぶ人間学』(致知出版社刊)より)
◇ ◇ ◇
安岡正篤先生がよく語られた言葉に「知識・見識・胆識」というものがあります。先生の高弟・山口勝朗さんが致知出版社刊『安岡正篤に学ぶ人間学』で、次のようにわかりやすく述べておられます。(一部要約)安岡先生は知識・見識・胆識とおっしゃっていました。知識とは理解と記憶力の問題で、本を読んだり、お話を聞いたりすれば知ることのできる大脳皮質の作用によるものです。
知識は、その人の人格や体験あるいは直観を通じて見識となります。見識は現実の複雑な事態に直面した場合、いかに判断するかという判断力の問題だと思います。
胆識は肝っ玉を伴った実践的判断力とでも言うべきものです。困難な現実の事態にぶつかった場合、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力が胆識ではないかと思います。
◇ ◇ ◇
⇒ 安岡正篤エピソードINDEX胆識
http://www.chichi-yasuoka.com/episode05.html
人生をやり直す方法
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http://www1.bbiq.jp/chikoshima.com/ningengaku/un-mei-tsukuru/ken-shiki-to-tan-shiki.html
知識、見識、胆識
安岡正篤が広めた言葉に「知識、見識、胆識」というものがあります。先日、NTTの鵜浦博夫社長が座右の銘としているという記事を見ました。鵜浦氏は、仕事上の判断で悩んだ時、この3つの言葉を思い浮かべ、自分が考えていることはどのレベルなのか自問自答しているそうです。
知識とは、知っているというレベル。見識とは、知識に体験や人格が加わった上での判断力。胆識とは、知識や見識が深まった上で、どんな抵抗や障害があってもやり遂げるという強い信念、実行力となった状態。
胆識がなければ、いくら知識や見識があっても物事は成就しません。リーダーにとって最も大切なものでしょう。では、どうすれば胆識が身につくのでしょうか。
鵜浦氏は言います。
「一つひとつの課題に深い問題意識を持ち、覚悟を持って取り組むこと。抵抗や障害を乗り越え、目標を達成した経験を積み重ねることにつきるのではないでしょうか。」
「直面した課題についてよく勉強し、問い直し、考え抜き、議論し、行動する。その繰り返しで知識が見識となり、胆識になっていくのだと思います。」
人生の経験をある程度積めば、その時その時、真剣に徹底的に取り組み、失敗から学び、とことん考え抜いて実践してきたことで、判断力や実行力に自由度が増したことが実感できるものです。そのことを改めて思い起こさせてくれました
知識とは、知っているというレベル。見識とは、知識に体験や人格が加わった上での判断力。胆識とは、知識や見識が深まった上で、どんな抵抗や障害があってもやり遂げるという強い信念、実行力となった状態。
胆識がなければ、いくら知識や見識があっても物事は成就しません。リーダーにとって最も大切なものでしょう。では、どうすれば胆識が身につくのでしょうか。
鵜浦氏は言います。
「一つひとつの課題に深い問題意識を持ち、覚悟を持って取り組むこと。抵抗や障害を乗り越え、目標を達成した経験を積み重ねることにつきるのではないでしょうか。」
「直面した課題についてよく勉強し、問い直し、考え抜き、議論し、行動する。その繰り返しで知識が見識となり、胆識になっていくのだと思います。」
人生の経験をある程度積めば、その時その時、真剣に徹底的に取り組み、失敗から学び、とことん考え抜いて実践してきたことで、判断力や実行力に自由度が増したことが実感できるものです。そのことを改めて思い起こさせてくれました
http://word.da-te.jp/e536517.html
知識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
知識(ちしき、英:knowledge、独:Wissen、仏:connaissance)とは、認識によって得られた成果、あるいは、人間や物事について抱いている考えや、技能のことである。
なお、英語の knowledge はオックスフォード英語辞典によれば次のように定義されている。
知識に関して人類がどのようなことを述べたり考察してきたのかについて解説すると、古くは旧約聖書の創世記のアダムとイブのくだりに「善悪の知識の木」が登場しており、各信仰ごとに知識について様々な考え方がある。 知識について哲学的に論じられるようになったのは、古代ギリシアのプラトンが知識を「正当化された真なる信念」としたのが始まりであり、現代にいたるまで様々な哲学的な考察が続けられている。16~17世紀のフランシス・ベーコンは知識獲得の方法について考察を行ったが、彼の考えは近代科学の成立に大きな役割を果たすことになった。(現代の心理学的に言うと)知識獲得には、知覚、記憶、経験、コミュニケーション、連想、推論といった複雑な認識過程が関係する、ということになる。
なお、今でも、万人が合意できるような“知識についての唯一の定義”などいうものは存在せず、学問領域ごとに異なった理論があり、それらの中には相互に対立するような理論も存在している。
カトリシズムや聖公会などのキリスト教では、知識を 《 聖霊(Holy Spirit)の7つの贈り物》の1つとしている[2]。
イスラム教においても知識(アラビア語: علم, ʿilm)は重要である。アッラーフの99の美名の1つに「全知者」 "The All-Knowing" (アラビア語: العليم, al-ʿAlīm) がある[3]。クルアーンには「知識は神がもたらす」とあり (2:239)、ハディースにも知識の獲得を奨励する言葉がある。「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ」とか「正に知識を持つ者は預言者の相続人だ」といった言葉はムハンマドのものと言われている。イスラムの聖職者をウラマーと呼ぶが、これは「知る者」を意味する。
グノーシス主義はそもそも「グノーシス」という言葉が「知識」を意味し、知識を獲得しデミウルゴスの物質世界から脱することを目的としている。セレマにおいては、知識獲得と聖守護天使との会話を人生の目的とする。このような傾向は多くの神秘主義的宗教に見られる。
ヒンズー教の聖典には Paroksha Gnyana と Aporoksha Gnyana という2種類の知識が示されている。Paroksha Gnyana (Paroksha-Jnana) とは受け売りの知識を意味する。本から得た知識、噂などである。Aporoksha Gnyana (Aparoksha-Jnana) は、直接的な経験から得た知識であり、自ら発見した知識である[4]。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』のなかで、知識を「Σοφια ソフィア(智)」と「φρόνησις フロネシス」の2種類とし、ソフィアとフロネシスを明確に区別している。
その後知識の定義については、認識論という分野で哲学者らが、今にいたるまで議論を続けている。
ある認知者Aが「Xである」という知識を持つのは以下の場合、その場合にかぎる。
これを一言で言えば、「知識とは正当化された真なる信念である」ということになり、「客観的知識」と「主観的信念」とに単純に2分類してしまうような分析が長らく主流であった。
この様な硬直的な分析・決めつけに対しては、1950年代にゲティアが強力な反例を出した(ゲティア問題)。ゲティア問題とは、簡単にいえば、正当化された真なる信念を持っているにもかかわらず、どう考えても知っているとはいえないような状況が想像できる、という問題である。これをうけて、その後の分析系認識論では、ロバート・ノージックやサイモン・ブラックバーン、Richard Kirkham[5] といった哲学者が知識の古典的定義に様々な形で手を加えて満足のいく分析を模索してきた。
それとは対照的にウィトゲンシュタインはムーアのパラドックスを発展させ、「彼はそれを信じているが、それは真ではない」とは言えるが「彼はそれを知っているが、それは真ではない」とは言えないと述べた[6]。彼はそれに続けて、それらは個々の精神状態に対応するのではなく、むしろ信念について語る個々の方法だという主張を展開する。ここで異なるのは、話者の精神状態ではなく、話者の従事している活動である。例えば、やかんが沸騰していることを「知る」というのは精神が特定の状態になることを意味するのではなく、やかんが沸騰しているという論述に従って何らかの作業を実行することを意味している。ウィトゲンシュタインは「知識」が自然言語の中で使われる方法に目を向けることで、その定義の困難さを回避しようとした。彼は知識を家族的類似の一例と見た。この考え方に従えば、「知識」は関連する特徴を表す概念の集合体として再構築され、定義によって正確に捉えられるものではないということになる[7]。
scientiaスキエンティアという言葉は元々は単に知識という意味でしかなく、ベーコンの時代でもそうであった。scientific method(scientific methodは元の意味では「知識に関する方法論」)が徐々に発展したことは、我々の知識についての理解に重要な寄与をした。さまざまな経緯を経て、知識の探究の方法は、観測可能で再現可能で測定可能な証拠を集め、それらに具体的な推論規則をあてはめていく形で行われなければならない[9]とされるようになった。現在では科学的方法(scientific method)は、観測や実験によるデータ収集と、仮説の定式化と、検証から構成されている、とされている[10]。科学とは「計算された実験によって得られた事実に基づいて推論する際の論理的に完全な思考法」ともされる。そして、科学や科学的知識の性質というのも哲学の主題のひとつとされるようになった(科学哲学)。
科学の発達と共に、生物学や心理学から知識についての新たな考え方が生まれた。ジャン・ピアジェの発生的認識論である。
近年まで特に西洋では単純に、知識とは人間(および神)が持てるもの、特に成人だけが持てるものだと見なされていた(東洋では必ずしもそうではなかった)。西洋では時には「コプト文化の持つ知識」といったように社会が知識を持つ、といった言い回しが無かったわけではないが、それは確立されたものではなかった。そしてまた西洋では、「無意識の」知識を体系的に扱うことはほとんどなかった。それが行われるようになったのは、フロイトがその手法を一般化した後である。
上記のような知識以外に「知識」が存在するといわれているものに、例えば生物学の領域では、「免疫系」と「遺伝コードのDNA」がある。(カール・ポパー(1975)[11]とTraill(2008)らが指摘している[12])
このような、生体システムが持つ知識までカバーするためには、「知識」という用語の新たな定義が必要とされるように見える。生物学者は、システムは意識を持つ必要はない、と考えるが、知識はシステムにおいて有効に利用可能でなければならない。すると、次のような基準が出てくる。
目次
[非表示]概要[編集]
認識(英:Cognition、独:Erkenntnis、仏:connaissance)とほぼ同義の語であるが、認識は基本的に哲学用語であり、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む概念である[1]なお、英語の knowledge はオックスフォード英語辞典によれば次のように定義されている。
知識に関して人類がどのようなことを述べたり考察してきたのかについて解説すると、古くは旧約聖書の創世記のアダムとイブのくだりに「善悪の知識の木」が登場しており、各信仰ごとに知識について様々な考え方がある。 知識について哲学的に論じられるようになったのは、古代ギリシアのプラトンが知識を「正当化された真なる信念」としたのが始まりであり、現代にいたるまで様々な哲学的な考察が続けられている。16~17世紀のフランシス・ベーコンは知識獲得の方法について考察を行ったが、彼の考えは近代科学の成立に大きな役割を果たすことになった。(現代の心理学的に言うと)知識獲得には、知覚、記憶、経験、コミュニケーション、連想、推論といった複雑な認識過程が関係する、ということになる。
なお、今でも、万人が合意できるような“知識についての唯一の定義”などいうものは存在せず、学問領域ごとに異なった理論があり、それらの中には相互に対立するような理論も存在している。
知識と信仰[編集]
旧約聖書の創世記に登場するアダムとイブは、神から善悪の知識の木の実を食べてはいけないといいつけられていたにもかかわらず、蛇にそそのかされイブが、それに続いてアダムまでそれを食べてしまい、その結果人間は神から隔てられてしまった、とされている(創世記 3:22)。カトリシズムや聖公会などのキリスト教では、知識を 《 聖霊(Holy Spirit)の7つの贈り物》の1つとしている[2]。
イスラム教においても知識(アラビア語: علم, ʿilm)は重要である。アッラーフの99の美名の1つに「全知者」 "The All-Knowing" (アラビア語: العليم, al-ʿAlīm) がある[3]。クルアーンには「知識は神がもたらす」とあり (2:239)、ハディースにも知識の獲得を奨励する言葉がある。「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ」とか「正に知識を持つ者は預言者の相続人だ」といった言葉はムハンマドのものと言われている。イスラムの聖職者をウラマーと呼ぶが、これは「知る者」を意味する。
グノーシス主義はそもそも「グノーシス」という言葉が「知識」を意味し、知識を獲得しデミウルゴスの物質世界から脱することを目的としている。セレマにおいては、知識獲得と聖守護天使との会話を人生の目的とする。このような傾向は多くの神秘主義的宗教に見られる。
ヒンズー教の聖典には Paroksha Gnyana と Aporoksha Gnyana という2種類の知識が示されている。Paroksha Gnyana (Paroksha-Jnana) とは受け売りの知識を意味する。本から得た知識、噂などである。Aporoksha Gnyana (Aparoksha-Jnana) は、直接的な経験から得た知識であり、自ら発見した知識である[4]。
知識と哲学[編集]
プラトンの『テアイテトス』では、「知識」の定義についてソクラテスとテアイテトスが議論して3つ挙げている。すなわち、「知識とは知覚することに他ならない」、「知識とは真なる思いなしである」、「知識とは真なる思いなしにロゴスを伴ったものである」の3つである。[注 1]アリストテレスは『ニコマコス倫理学』のなかで、知識を「Σοφια ソフィア(智)」と「φρόνησις フロネシス」の2種類とし、ソフィアとフロネシスを明確に区別している。
その後知識の定義については、認識論という分野で哲学者らが、今にいたるまで議論を続けている。
「認識論」も参照
現代英米の分析哲学では、知識の古典的定義としてプラトンの記述を考慮して、以下のものが用いられる。ある認知者Aが「Xである」という知識を持つのは以下の場合、その場合にかぎる。
これを一言で言えば、「知識とは正当化された真なる信念である」ということになり、「客観的知識」と「主観的信念」とに単純に2分類してしまうような分析が長らく主流であった。
この様な硬直的な分析・決めつけに対しては、1950年代にゲティアが強力な反例を出した(ゲティア問題)。ゲティア問題とは、簡単にいえば、正当化された真なる信念を持っているにもかかわらず、どう考えても知っているとはいえないような状況が想像できる、という問題である。これをうけて、その後の分析系認識論では、ロバート・ノージックやサイモン・ブラックバーン、Richard Kirkham[5] といった哲学者が知識の古典的定義に様々な形で手を加えて満足のいく分析を模索してきた。
それとは対照的にウィトゲンシュタインはムーアのパラドックスを発展させ、「彼はそれを信じているが、それは真ではない」とは言えるが「彼はそれを知っているが、それは真ではない」とは言えないと述べた[6]。彼はそれに続けて、それらは個々の精神状態に対応するのではなく、むしろ信念について語る個々の方法だという主張を展開する。ここで異なるのは、話者の精神状態ではなく、話者の従事している活動である。例えば、やかんが沸騰していることを「知る」というのは精神が特定の状態になることを意味するのではなく、やかんが沸騰しているという論述に従って何らかの作業を実行することを意味している。ウィトゲンシュタインは「知識」が自然言語の中で使われる方法に目を向けることで、その定義の困難さを回避しようとした。彼は知識を家族的類似の一例と見た。この考え方に従えば、「知識」は関連する特徴を表す概念の集合体として再構築され、定義によって正確に捉えられるものではないということになる[7]。
知識と科学[編集]
認識論は知識とその獲得方法について考察する。フランシス・ベーコンは知識獲得の方法の発展に重大な貢献をした。著作で帰納的方法論を確立し一般化し、現代の科学的探究の礎となったのである。彼の金言「知識は力なり (knowledge is power)」はよく知られている(この金言は 彼の著書『Meditations Sacrae』(1957) に記されている[8])。scientiaスキエンティアという言葉は元々は単に知識という意味でしかなく、ベーコンの時代でもそうであった。scientific method(scientific methodは元の意味では「知識に関する方法論」)が徐々に発展したことは、我々の知識についての理解に重要な寄与をした。さまざまな経緯を経て、知識の探究の方法は、観測可能で再現可能で測定可能な証拠を集め、それらに具体的な推論規則をあてはめていく形で行われなければならない[9]とされるようになった。現在では科学的方法(scientific method)は、観測や実験によるデータ収集と、仮説の定式化と、検証から構成されている、とされている[10]。科学とは「計算された実験によって得られた事実に基づいて推論する際の論理的に完全な思考法」ともされる。そして、科学や科学的知識の性質というのも哲学の主題のひとつとされるようになった(科学哲学)。
科学の発達と共に、生物学や心理学から知識についての新たな考え方が生まれた。ジャン・ピアジェの発生的認識論である。
近年まで特に西洋では単純に、知識とは人間(および神)が持てるもの、特に成人だけが持てるものだと見なされていた(東洋では必ずしもそうではなかった)。西洋では時には「コプト文化の持つ知識」といったように社会が知識を持つ、といった言い回しが無かったわけではないが、それは確立されたものではなかった。そしてまた西洋では、「無意識の」知識を体系的に扱うことはほとんどなかった。それが行われるようになったのは、フロイトがその手法を一般化した後である。
上記のような知識以外に「知識」が存在するといわれているものに、例えば生物学の領域では、「免疫系」と「遺伝コードのDNA」がある。(カール・ポパー(1975)[11]とTraill(2008)らが指摘している[12])
このような、生体システムが持つ知識までカバーするためには、「知識」という用語の新たな定義が必要とされるように見える。生物学者は、システムは意識を持つ必要はない、と考えるが、知識はシステムにおいて有効に利用可能でなければならない。すると、次のような基準が出てくる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%AD%98
認識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
認識(にんしき、英語: Cognition、Knowledge、独:Erkenntnis、仏:connaissance)は基本的には哲学の概念で、主体あるいは主観が対象を明確に把握することを言う。知識とほぼ同義の語であるが、日常語の知識(英:Knowledge、独:Wissen)と区別され、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む概念である[1]。
認識についての哲学における研究分野が認識論である。認識の起源、認識の本質、真理論などで様々な解釈がある。
心理学で、またその他の関連分野で使用される「Cognition」という言葉・概念は、場合によって「認知」という訳語が相応しい場合がある。en:Cognitive science などは、認識科学ではなく、認知科学である。また、en:Cognitive psychology は心理学の分野の一つであるが、これは認知心理学という。認識心理学とは言わない。
この知覚に対して意味づけを行う過程には知性的能力(理性・悟性)や知識が介在し、同じ対象に対しても個人ごとに同じ認識をしているとは限らない。
ここで、知覚していることは必ずしも認識していることを意味しない。いわゆる、「見ている」と「見えている」の違いである。 また、認識はそれだけではブラックボックスで、行動・発話などの出力行為によってのみ客観的に確認できるものである。
パターン認識は生体認証、OCR、音声認識など様々な分野への応用が実用化されている。
哲学における認識[編集]
認識は、伝統的には、大きく経験的認識と理性的認識に分けられ、更にその論者の哲学体系により異なる部分もあるが、おおむね、直観的認識、感性的認識、理性的認識、知性的認識などがあるとされる。それぞれの認識の成立には、感性、直観、理性、そして知性ないし悟性などの主観あるいは精神の機能が働くとされる。認識についての哲学における研究分野が認識論である。認識の起源、認識の本質、真理論などで様々な解釈がある。
心理学における認識[編集]
科学としての心理学においても、認識(Cognition)という概念・用語が使用される。心理学の場合、科学であるため、基本的に外界の素朴実在論を前提としており、このため、哲学における認識とは異なる定義や概念となる。心理学で、またその他の関連分野で使用される「Cognition」という言葉・概念は、場合によって「認知」という訳語が相応しい場合がある。en:Cognitive science などは、認識科学ではなく、認知科学である。また、en:Cognitive psychology は心理学の分野の一つであるが、これは認知心理学という。認識心理学とは言わない。
心理学での認識過程[編集]
心理学では、認識とは、心的な過程のひとつで、外界から得た情報が意味づけされた上で意識に上ることを言う。ここで、外界からの情報が知覚である。これは、身体からの信号である感覚をもとに構成されたものとなる。この知覚に対して意味づけを行う過程には知性的能力(理性・悟性)や知識が介在し、同じ対象に対しても個人ごとに同じ認識をしているとは限らない。
ここで、知覚していることは必ずしも認識していることを意味しない。いわゆる、「見ている」と「見えている」の違いである。 また、認識はそれだけではブラックボックスで、行動・発話などの出力行為によってのみ客観的に確認できるものである。
情報工学でいう「認識」[編集]
情報工学においては、外部から得られたデータをもとに、その中から意味のある対象を感覚器官で見たもの、聞いたものを意味づけする過程のことを認識と呼ぶ。例えば、画像データの中からヒトを見つけ出し、それがヒトであるというデータを生成するような技術のことであり、このように自然情報から対象を拾い出す処理は特にパターン認識と呼ばれる。パターン認識は生体認証、OCR、音声認識など様々な分野への応用が実用化されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E8%AD%98
常識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明示してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年7月) |
概念史[編集]
西欧に於ける常識の概念はアリストテレスの『霊魂論』に見える共通感覚(希:κοινή αἴσθησις コイネー・アイステーシス、羅:Sensus Communis センスス・コムニス)の概念に由来する。アリストテレスは五感に共通して付帯する感覚があり、それぞれの感覚を同一の対象の感覚として統合するものとして共通感覚と呼んだ。具体的には、感覚の間の比較、関係付け、個別の感覚だけには属さない抽象的な性質である、形、大きさ、数などがこの共通感覚に由来すると考えられた。
ついで、自然法思想の起源をなし、「自然の光」に照らされた理性的判断は「万人の合意 consensus omnium」をもたらすと説いたストア派から、Sensus Communis には現在に通じる、人々の間で共通する感覚・判断という意味合いが発生した。特に、それを受けて、キケロに代表される修辞学の伝統においては、この意味における Sensus Communis が重視された。
13世紀のトマス・アクィナスはアリストテレスの意味での共通感覚の規定を受け継いで、彼自身の認識論をより詳細に展開させ、スコラ哲学はそれを受け継いだ。
17世紀のヴィーコやシャフツベリ伯によって、人々の共通の感覚という意味での常識は哲学的に主題化された。
イギリス経験論、及びスコットランド常識学派において、人々が共有する本能的で(健全な)判断能力という意味での常識の概念は重要な位置を占めた。トーマス・リードはその常識の観念を提示するに当たって、しばしばキケロの Sensus Communis を引用している。
カントにおいては Sensus Communis は「共同体感覚 ( Gemeinsinn )」という意味合いで規定され、感性的(美的)なものの普遍性・伝達可能性を支えるものとされている。
歴史的には、トマス・ペインのパンフレットコモン・センスが共和主義的アジテーションにおいて常識の概念を中核に据えたことが有名である。
常識と真理[編集]
常識は特定の社会の成員が共有し、前提として疑わない認識のことであるから、特定の社会に限定されない普遍性を条件とする真理とは時として相違する。或る認識が真理として認識されれば、最終的にはその認識は常識のなかに組み込まれることになるといっていいが、その過程は必ずしも平坦ではないし、即時という訳でもない。また、真理として未だ十分に検証されていない認識でも、常識と見なされる場合も多い。哲学者の三木清によれば、常識の上位概念として良識(りょうしき)があるという。彼によれば常識人が常識を無謬のものとして受容し、常識を盾にして非常識を断罪するのに対し、常識に疑問を持てる知恵が良識なのである。
かようにして、常識というものにも二つのものが区別されるであろう。それは一方、すでにいった如く、或る閉じた社会に属する人間に共通な知識を意味する。この場合、一つの社会の常識と他の社会の常識とは違い、それぞれの社会にそれぞれの常識がある。しかし他方、あらゆる人間に共通な、人類的な常識というものが考えられる。それは前の意味における常識と区別して特に「良識」と称することができる。例えば、「全体は部分よりも大きい」というのは常識である。それは「自然的光」によってすべての人間に知られるものであって、直接的な明証をもっている。それは知性の自然的な感覚に属している。— 三木清『哲学入門』
常識の規範的性格[編集]
三木清と同じく京都学派の西田左派として知られる戸坂潤は次のように述べ、常識は社会の平均的認識のことではなく、標準的認識という意味での規範的性格を持つと主張した。今この矛盾を解くためには、この平均値という観念の謎を解く必要がある。と云うのは、この平均値を正直に単純に社会に於ける各個人の量質的な総和平均のことだと考えていては之は解けない。それが平均値であるが故に(どういう根拠だか判らないが)おのずから標準的なものであり、又理想的なものだというのでなくてはならない。リード的常識の常識的態度は恰も、之を健全という標準又は理想で以て云い表わしたのであった(bon sens という常識概念も亦、こうした標準又は理想をひそかに想定している)。健全とは無論、病気と健康との総平均などではなくて、各人の健康状態の標準であり又理想のことなのである。それにも拘らず健全さは人間健康のノルマルな常態だと考えられる。この間の消息は、健康の保持(不健康疲労物質の新陳代謝と健康恢復)というものが伝えている。即ちたえず健康を引き上げ健康さを発達させることが、人間の平均的な従ってノルマルで通常の健康状態と考えられるわけである。— 戸坂潤「三 「常識」の分析」『日本イデオロギー論』
常識と政治[編集]
いったん物事が常識として受け入れられれば、通常それは異議を差し挟まれることはない。そのため、常識の内実はしばしば大きな政治的価値を持つ。一部の常識は、メディアを通じた大衆操作などによって大きく変動することがある。また、それが衆愚政治の原因となることもある。ハンナ・アーレントはカントの共通感覚論を参照しつつ政治的な判断能力として Sensus Communis を再考し、公共性論の基礎として取り上げた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E8%AD%98
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意識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを正確に認識できている状態のこと」を指す[1]。
ただし、歴史的、文化的に、この言葉は様々な形で用いられており、その意味は多様である。哲学、心理学、生物学、医学、宗教、日常会話などの中で、様々な意味で用いられる。
日本語では、「ある物事について要求される注意を払っている」とか「考え方や取り組み方について努力が行われている」といったことを表す場合に、意識が高い(または低い)といった言い方が許される。たとえば公害や廃棄物などの問題についてよく勉強し、改善のために様々な行動や対策を行っている個人や集団を、環境問題についての意識が高い、などと表現する。このような用法は遵法意識、コスト意識、プロ意識、意識調査、意識改革、など様々な表現に見られる。
学術的には、文脈に応じて意識という語は様々な意味で使用される。以下では、哲学、心理学、臨床医学をはじめとするいくつかの分野に分けて、代表的な意味を解説する。
意識や心の構造が問われるようになるのは、17世紀以降である[要出典]。近世前期の哲学において、意識はもっぱら思惟を典型とする認識と表象の能力として扱われたといってよく、ただしこの認識能力は感情や感覚を含むものであった。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」(Je pense,donc je suis.(ラテン語訳Cogito,ergo sum.)などの方法論的懐疑により、後世に主観的でありしかもなお明証性をもつコギト(羅: Cogito)と表現される認識論的存在論を展開した。デカルトは世界を「思惟」と「延長」から把握し、思惟の能動性としての認識と受動性としての情念をそれぞれ主題化した。
ライプニッツにおいては、全表象能力は各々明晰さの度を持ち、最も完全な認識である悟性が神を直観的に認識するほか、理性は合理的推論を判明に、感性は感覚的把握を明晰に行うとされた。ライプニッツの影響を受けたクリスティアン・ヴォルフは、「意識」の語をドイツ語: Bewusstsein (字義通りには「知られている状態」)と造語し名づけた。カントは、Cogitoを「純粋統覚」(reine Apperzeption)とみなし、すべての悟性的認識の根源であるとしたが、意識そのものの主題化には向かわず、各認識能力の身分と能力についての考察をその批判において展開した。
意識がドイツ哲学において全面的に主題化されるのはドイツ観念論においてである。フィヒテは、デカルトやカントが cogito/Ich denke から遡行的に知られるとした "ich bin" 我あり、をデカルトにおいてそうであったような個我の自己認識から、カントが主題化した超越論的認識能力の原理へ拡大し、"独: das Ich"(日本語訳 自我)と呼び、その働きを定式化した。ここでdas Ichとは意識の能力にほかならない。つまり、そのようなdas Ichは、自己自身を真正の対象とする活動、すなわち(独: Tathandlung(日本語訳 事行=自己を認識する活動である)と把握され、この自らを客観(対象)とする認識主観としての自我を自己意識と呼ぶ。フィヒテのほか、シェリング、ヘーゲルらが自己意識を哲学の問題として取り上げた。シェリングは、対象化された自己意識を「無意識」(Unbewusstsein(直訳:意識でないもの)、Bewusstlosigkeit(直訳:意識を欠いた状態))と名づけた。ユングはシェリングが無意識の発見者であると指摘している。ドイツ圏における意識についての研究は1780年代から1810年頃まで盛んに行われたが、その後は存在論的哲学に再び座を譲った。
行動主義心理学では、意識という概念を用いずに、刺激と反応という図式で人間の行動を理解しようとする。
自分で現在認識している内容を意識という。つまり、我々が直接的に心の現象として経験していること、これは私の経験だと感じることのできることを総体的に意識という。意識は短期記憶・作動記憶と関係がある[要出典]、ともされる。
自分で現在認識していないが、努力すれば思い出すことができる内容を前意識という。
自分で現在認識しておらず、努力しても思い出せない内容を無意識という。精神分析学では通常の方法では思い出せない無意識下にあるものを、自由連想法などを用いて意識に持ってゆくことで無意識を理解しようとした。
意識(いしき、Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(ただし、歴史的、文化的に、この言葉は様々な形で用いられており、その意味は多様である。哲学、心理学、生物学、医学、宗教、日常会話などの中で、様々な意味で用いられる。
日本語では、「ある物事について要求される注意を払っている」とか「考え方や取り組み方について努力が行われている」といったことを表す場合に、意識が高い(または低い)といった言い方が許される。たとえば公害や廃棄物などの問題についてよく勉強し、改善のために様々な行動や対策を行っている個人や集団を、環境問題についての意識が高い、などと表現する。このような用法は遵法意識、コスト意識、プロ意識、意識調査、意識改革、など様々な表現に見られる。
学術的には、文脈に応じて意識という語は様々な意味で使用される。以下では、哲学、心理学、臨床医学をはじめとするいくつかの分野に分けて、代表的な意味を解説する。
目次
[非表示]語源[編集]
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歴史[編集]
西洋[編集]
哲学[編集]
中世では、conscious「意識がある」とconscience「良心」の語源が同じ(scire「知る」)ことからも推測されるように、意識はほとんど良心と同義であり[要出典]、現在我々が知る心的現象一般としての意識という概念はなかった[要出典]。意識や心の構造が問われるようになるのは、17世紀以降である[要出典]。近世前期の哲学において、意識はもっぱら思惟を典型とする認識と表象の能力として扱われたといってよく、ただしこの認識能力は感情や感覚を含むものであった。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」(Je pense,donc je suis.(ラテン語訳Cogito,ergo sum.)などの方法論的懐疑により、後世に主観的でありしかもなお明証性をもつコギト(羅: Cogito)と表現される認識論的存在論を展開した。デカルトは世界を「思惟」と「延長」から把握し、思惟の能動性としての認識と受動性としての情念をそれぞれ主題化した。
ライプニッツにおいては、全表象能力は各々明晰さの度を持ち、最も完全な認識である悟性が神を直観的に認識するほか、理性は合理的推論を判明に、感性は感覚的把握を明晰に行うとされた。ライプニッツの影響を受けたクリスティアン・ヴォルフは、「意識」の語をドイツ語: Bewusstsein (字義通りには「知られている状態」)と造語し名づけた。カントは、Cogitoを「純粋統覚」(reine Apperzeption)とみなし、すべての悟性的認識の根源であるとしたが、意識そのものの主題化には向かわず、各認識能力の身分と能力についての考察をその批判において展開した。
意識がドイツ哲学において全面的に主題化されるのはドイツ観念論においてである。フィヒテは、デカルトやカントが cogito/Ich denke から遡行的に知られるとした "ich bin" 我あり、をデカルトにおいてそうであったような個我の自己認識から、カントが主題化した超越論的認識能力の原理へ拡大し、"独: das Ich"(日本語訳 自我)と呼び、その働きを定式化した。ここでdas Ichとは意識の能力にほかならない。つまり、そのようなdas Ichは、自己自身を真正の対象とする活動、すなわち(独: Tathandlung(日本語訳 事行=自己を認識する活動である)と把握され、この自らを客観(対象)とする認識主観としての自我を自己意識と呼ぶ。フィヒテのほか、シェリング、ヘーゲルらが自己意識を哲学の問題として取り上げた。シェリングは、対象化された自己意識を「無意識」(Unbewusstsein(直訳:意識でないもの)、Bewusstlosigkeit(直訳:意識を欠いた状態))と名づけた。ユングはシェリングが無意識の発見者であると指摘している。ドイツ圏における意識についての研究は1780年代から1810年頃まで盛んに行われたが、その後は存在論的哲学に再び座を譲った。
心理学[編集]
19世紀中葉のヨーロッパでは、哲学から心理学が分科した。ヴィルヘルム・ヴントは意識という概念を中心に心理学を組み立てようとした。意識は自分の感ずる「感覚」「感情」「観念」に分けられる。この三つの意識を自分自身が感じたままに観ることを内観法(ないかんほう)という。行動主義心理学では、意識という概念を用いずに、刺激と反応という図式で人間の行動を理解しようとする。
精神分析学[編集]
詳細は「精神分析学」を参照
精神分析学では人間の心を、意識・前意識・無意識の三つに分ける。自分で現在認識している内容を意識という。つまり、我々が直接的に心の現象として経験していること、これは私の経験だと感じることのできることを総体的に意識という。意識は短期記憶・作動記憶と関係がある[要出典]、ともされる。
自分で現在認識していないが、努力すれば思い出すことができる内容を前意識という。
自分で現在認識しておらず、努力しても思い出せない内容を無意識という。精神分析学では通常の方法では思い出せない無意識下にあるものを、自由連想法などを用いて意識に持ってゆくことで無意識を理解しようとした。
認知科学・人工知能における意識[編集]
認知科学、人工知能の分野では、人間が人工知能に質問などをして、その人工知能があたかも人のように反応し、人から見て人と何ら区別がつかなければ、それをもってしてその存在は知能あるいは意識を持っていると見なしていいのではないか、とアラン・チューリングが提案した(チューリング・テスト)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%AD%98
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